テキサス州スキャンダル ホワイトハウスまでの険しい道のり

アメリカ101 第72回

前回のコラムで「ポリティカル・ジャンキー」を話題にしましたが、早速そんな人たちにとって文字通りの「field day」(おおはしゃぎの機会)となるテキサス州選出共和党上院議員テッド・クルーズ(50)による同州大寒波の最中の“信じられない愚行”が明らかになり、昨年の大統領選挙に出馬、2024年にも再出馬が噂されるという、この大物政治家の政治生命に大きなダメージとなっています。

 

話の発端は、先ごろのテキサス州を中心として南部諸州を襲った記録的な寒波です。気温が急降下、ヒューストンのような大都市部でもセ氏マイナス10度という寒さで暖房用の電力需要急増、同州内の送電システムが危険に直面して広範囲な地域が停電。寒さで水道管が破裂、漏水で家屋内に氷柱が垂れるとか、水圧低下による水質悪化で雪を沸騰して飲料水を確保するといった日常生活への支障が生じただけでなく、屋内でさえ氷点下という住宅もあり、50人以上の死者が出ています。そんな中、グレッグ・アボット知事や地元議員たちも相次いで、市民に対して外出を自粛し、できるだけ身の安全を確保するよう万全の対応を促す緊急要請を繰り返しました。

 

そしてクルーズも、寒波が厳しさを増した2月15日に「ステイホーム」と呼び掛けるアピールを出して、関係当局と連絡を密にしてできるだけのことをしたいと「ええカッコしい」をしたのはいいのですが、17日になって、夫人と娘2人の家族連れでヒューストンのブッシュ国際空港に姿を現し、メキシコの国際的な保養地カンクン向けの定期便に乗り込む姿や機内に落ち着く様子を撮影したスマートフォーンの写真がソーシャルメディアを通じて同日夕方にかけて拡散、大騒ぎとなりました。そうこうするうちに、ニューヨーク・タイムズ紙が、ハイディ・クルーズ夫人による、隣人や友人など知人サークルに宛てた「極寒のヒューストンから温暖なカンクンへ避寒旅行に一緒にいかが。リッツ・カールトン・ホテルが一泊309ドルとお安くなっていますよ」との勧誘メールのコピーを入手、特ダネとして伝えて、さらに騒ぎが大きくなりました。

 

カンクンの最高級ホテルに着いたクルーズ、事態に重大さに愕然としたのか、その日のうちに翌18日午前6時発の最初の便を予約、ヒューストンに戻り、記者団に「休校となった娘たちにせがまれて、引率でカンクンまで行って、戻ってきた」と説明。その後自宅に戻ってからは、「世界で最も偉大な(great)国家の、最も偉大な州であるテキサス州全域で停電した」という大げさな表現で始まる声明を発表、「娘たちのエスコート説」を繰り返しています。夫人のテキストメッセージが示すように、夫婦でイニシアティブをとって計画、予約記録から、当初は週末29日に戻る予定だったことが明らかで、自分の判断ミスを娘たちのせいにするという「throw  girls under the bus」というイディオムを地で行くお粗末さは、各メディアや深夜のテレビ・トークショー番組で「脳死の瞬間」(Brain-Dead Moment)と呼ばれるほどです。

 

クルーズ夫妻は、ハーバード大学ロースクールや同大ビジネススクールで法務博士、MBAを取得、ホワイトハウスや財務省、通商代表部(USTR)などの政府中枢機関で知り合い結婚したというエリート・カップル。夫人は世銀総裁候補としてドナルド・トランプ大統領のインタビューを受けたこともあり、現在はゴールドマン・サックスのヒューストン駐在幹部です。クルーズ本人は昨年の大統領選でトランプらと指名争い、トランプからは「Lying Ted」(嘘つきテッド)呼ばわりされたものの、選挙戦から退いてからは熱烈なトランプ支持者に変身、今回の大統領選ではあくまで「トランプ勝利」を主張、二回目のトランプ弾劾裁判でも先頭に立って無罪を主張、「トランプ後継者」を意識したスタンドプレーが目立っています。しかし「政治家クルーズ」は仲間の超党派政治家の間では嫌われ者として知られ、前号で触れた共和党有力幹部で、辛口の冗談で知られるリンゼー・グラム上院議員(ノースカロライナ州)は、内輪の集まりで「上院本会議場で仲間の議員がクルーズを殺害したとしても、上院で裁判があれば、有罪とする議員はいないだろう」と述べているほか、ジョン・ベイナー元下院議長なども、2015年のスタンフォード大学でのスピーチで「あんなSOBのヤツとは絶対一緒に仕事をしたくない」と述べたと伝えられており、テッド・クルーズのホワイトハウスへの道は一段と険しくなったようです。

 


著者/ 佐藤成文(さとう しげふみ)

通称:セイブン

1940年東京出身。早稲田大学政治経済部政治学科卒。時事通信社入社、海外勤務と外信部勤務を繰り返す。サイゴン(現ホーチミン市)、カイロ、ベイルート、ワシントン、ニューヨーク、ロサンゼルス各支局長を歴任し、2000年定年退社。現在フリーランスのジャーナリストとしてロサンゼルス在住。


 

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