アメリカ101 第103回
ロサンゼルスの博物館や美術館のうち、それぞれの個人の趣味や好みで、実際に訪れるミュージアムがあるかと思いますが、日本人にとって必見なのは、なんといってもリトル東京にある全米日系博物館(Japanese American National Museum=JANM)でしょう。アメリカでの日系人の歩みを網羅する総合博物館で、当初は、現在の本館(パビリオン)の向かい側にある、1925年建設の旧西本願寺の建物を使って1992年に開館。その後1998年に本館に移転して、現在に至っています。アメリカ在住者はもちろんのこと、観光や仕事での短時間のロサンゼルス滞在でも、アメリカという国を理解するには是非とも訪れたい場所です。
ここでは、日系人が直面した最大の試練だった、全米10カ所の粗末な施設への日系人12万人の強制という、真珠湾攻撃後の人種差別の実態に多くのスペースが割かれていますが、その苦難を現地でしのぶには、ロサンゼルスから北へ約360㎞にあるマンザナー強制収容所跡を訪れる必要があります。国道395号(US395)を北上、ローンパインをいう小さな町を抜けて約15㎞走った左側に800エーカーにもおよぶ広大な跡地は、現在はマンザナー国定史跡(Manzanar National Historic Site)として連邦政府内務省傘下の国立公園局(National Park Service=NPS)が管理・保存しています。シエラネバダ山脈の東側に位置する南北全長120㎞のオーエンズ・バレーの一角で、敷地内からは同山脈最高峰で、アメリカ本土最高峰でもあるホイットニー山(4418m)の頂上部分をうかがうことができます。
ここには、当時のフランクリン・ルーズベルト大統領による大統領令9066号に基づいて建設された強制収容所があり、1942年から1945年まで、最大1万人が生活していた場所です。現在は史跡として保存され、ビジターセンターや再現された居住バラック、慰霊碑などがあります。連邦政府機関としてアメリカ人の間で最も高い評価を得ているNPSの施設だけに、ビジターセンターには、規模は小さいものの、第二次世界大戦中の日系人差別の実態を歴史的に俯瞰した展示物も充実しており、係員も常駐、質問にも丁寧に答えてくれます。
収容所は終戦に伴い解体されて、元来の“地主”であるロサンゼルス市の管轄下となり、「アメリカの負の遺産」として、長年にわたり地図上に記載もない「忘れられた場所」となってました。しかし、収容されていた人びとの間で、苦難の歳月を過ごした場所として再び訪れる人が絶えず、1969年に初めて組織的な「マンザナー巡礼」が始まります。そして最終的には連邦政府による日系人に対する公式謝罪(1988年ロナルド・レーガン大統領)と損害賠償実現を受けて、マンザナーが、10カ所の強制収容所の代表的な史跡に指定され、整備が進められた結果、現在では、アメリカの欠かせない歴史の一部として保存されているわけです。
このコラムは3回連続の「ロサンゼルスの博物館/美術館」シリーズの一環です。ロサンゼルスからクルマでほぼ半日かかるマンザナー強制収容所が「ロサンゼルスの」に相当するのかという疑問があるかもしれません。だがオーエンズ・バレーはロサンゼルス市・郡の行政区の一部ではないものの、実質的にはロサンゼルス市の「保有」なのです。というのも、ロサンゼルス市が20世紀初頭以来、オーエンズ川の全面的な水利権を握っていて、今でも、その上水道の3分の1の水源であるからです。ロサンゼルス市にとっては貴重な水資源であるものの、現地住民などの関係者との間では100年以上にわたり「水争い」が続いており、その辺りはロマン・ポランスキー監督の名作「チャイナタウン」(1974)の背景として描かれていますが、それについては、いずれ、このコラムで取り上げるつもりです。
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著者/ 佐藤成文(さとう しげふみ)
通称:セイブン
1940年東京出身。早稲田大学政治経済部政治学科卒。時事通信社入社、海外勤務と外信部勤務を繰り返す。サイゴン(現ホーチミン市)、カイロ、ベイルート、ワシントン、ニューヨーク、ロサンゼルス各支局長を歴任し、2000年定年退社。現在フリーランスのジャーナリストとしてロサンゼルス在住。
(10/1/2021)