アメリカ101 第104回
「博物館/ミュージアム」シリーズの最終回となる今回は、「世界の映画ロケ地の首都」(Film Location Capital of the World)ともいえるローンパインと、世界唯一の「西部劇歴史博物館」(Museum of Western Film History)とアラバマヒルズ(Alabama Hills)が“主役”です。
ローンパインと聞いてピンとくるのは、年季のはいったひとかどの映画ファン、とくに西部劇ファンでしょう。アメリカ独自の映画ジャンルである西部劇は、アメリカでの映画創成期からの“売り物”です。それは、ストーリーのある最初の映画とされる「大列車強盗」(The Great Train Robbery)(1903)が西部劇であったのが物語るように、映画産業では欠かせない“見世物”でした。当時映画会社はニューヨーク市内のクイーンズやブロンクスにスタジオを構えていたのですが、「大列車強盗」のような活劇映画のロケ地として、ハドソン川を挟んだニュージャージー州の荒野を求めたこともあって、20世紀初頭までマンハッタンの対岸にあるフォートリーが一時は映画産業の中心地でした。
だが映画スタジオ各社は、アメリカでの映写機の発明者であるトーマス・エジソンが有する特許権に絡んだ束縛から逃れるため、一時期は全米各地で映画製作を進めたものの、最終的には1910年代半ばまでには、気候が温暖で降雨も少なく晴天が続くロサンゼルス郊外のハリウッドに拠点を移したことで、現在に至る「世界の娯楽産業の首都」(Entertainment Capital of the World)であるハリウッドが誕生しました。
ハリウッドでの映画、そしてテレビ映画シリーズで大きな部分を占める西部劇のロケ地として、その創成期から注目されたのが、アラバマヒルズ」と呼ばれるローンパイン市街地の西側に展開する丘陵地帯です。
西部劇のロケ地といえば、ジョン・フォード監督の名作「駅馬車」(Stagecoach,1939)や「捜索者」(The Searchers,1956)の舞台として知られる、アラバマ州南部とアリゾナ州北部にまたがるモニュメントバレー(Monument Valley)が有名です。またハリウッドの近場では、「ザ・バレー」(The Valley=San Fernado Valley)の北側チャッツワースにある「アイバーソン・ランチ」(Iverson Ranch)が、その地の利からしばしば西部劇のロケ地の定番となっていました。しかし、より広大な、いかにも西部山間部というイメージにぴったりな場所として、1920年代からロケ地として重宝されてきたのがアラバマヒルズです。
ローンパインは、ロサンゼルスからマンザナー強制収容所に行く途中の最後の市街地で、アメリカ本土最高峰ホイットニー山の登山口に通じるホイットニー・ポータル・ロード(Whitney Portal Road)と交差しています。そして、その交差点の手前、市街地の入口辺りの左側にあるのが「西部劇博物館」です。左折してホイットニー・ロードに入ると、その南に並行して、「歌うカウボーイ」として有名なロイ・ロジャーズを命名した道があり、さらに登山口方面に走行すると、右側にムービー・ロードと名付けられた道が分岐。その道筋には、西部劇の背景として見覚えのある広大なアラバマヒルズが広がっています。
この一帯は1920年代から400本以上の西部劇のロケ地となったところ。「西部劇博物館」には、幌馬車などの因んだ展示があります。お勧めは、“現代西部劇”ともいえるジョン・スタージェス監督の異色作「日本人の勲章」(Bad Day at Black Rock,1955)を鑑賞したあと、その余韻が醒めないうちにロケ現地のアラバマヒルズと同博物館を訪れることです。映画ファンにとっての究極の“聖地”訪問となるはずです。
著者/ 佐藤成文(さとう しげふみ)
通称:セイブン
1940年東京出身。早稲田大学政治経済部政治学科卒。時事通信社入社、海外勤務と外信部勤務を繰り返す。サイゴン(現ホーチミン市)、カイロ、ベイルート、ワシントン、ニューヨーク、ロサンゼルス各支局長を歴任し、2000年定年退社。現在フリーランスのジャーナリストとしてロサンゼルス在住。
(10/8/2021)