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飲酒運転で警察車両とカーチェイスをした後、アメリカ・ロサンゼルスで刑務所暮らしをすることになった日本人。
サム(仮)による一年間の服役実録記。
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このツインタワーから、又あのバスに乗って約2時間のドライブと洒落込みながら、これまた悪名高いsuper MAXと言う拘置所兼刑務所のようなところに送られることになったのである。super MAXと言う凶悪刑務所での暮らしが始まった。ロスから約2時間、ノースの山あいにあるこの施設は、収容人員約7000人と聞いた。
自分は中には入っていたが実際に外から見学したわけではないので確かな事は言えないが、そのときの感覚と運動時間などで中庭から見る建物の感じからして、3階~4階建てでノースタワー、サウスタワー、ウエストタワー、イーストタワーといった感じの大規模な空港の建物の様な感じで立っているようだ。
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~刑務所での決まり事~
送迎バスに乗り、着いてすぐやる事は会議室の様な大きな部屋に入り、着ていた服を全て脱がされ裸になり、そしていわゆるウンコ座りをさせられる。そしてさらにフン、フンと大きな声を出してイキむのだ。
そうすることでケツの穴に何かドラッグや禁制品を持ち込んでいないかを調べられる。もしケツの穴に何かを仕込んでいたら、うんこずわりでイキんだ時に飛び出すからだ。
そして何もなければ新しい服に着替えてから、自分の房へと帰っていくことになるのだ。これは裁判に出廷したときの帰りや、あるいは他の刑務所から移送されてきた場合でも同じ、とにかく外から帰ってきたときに必ずやらされる儀式のようなものである笑。
余談だが日本の刑務所でも刑務作業が終了し自分の舎房へと帰るときに危険なものを部屋に持ち込ませないためにやる素っ裸で口を開けて手足を振って何も持ってないよと見せるためのカンカン踊りと言うものがあるようだが、同じことである。
ここに着いてすぐ自分が収容された部屋は年齢が45歳以上の収監者だけを集めた部屋だった、ここはこの世の天国か?(刑務所内に限ればの話だが笑)と言うぐらい平和な雑居房(大勢の人間が同じ部屋で暮らす)であった。
何しろ刑務所とは言え老年に近い人が多いので、皆さんトゲトゲしさも無くて人種間の争いなどもほとんど無く、初めて刑務所に来た自分にも皆んな凄く優しく接してくれるのだ。
皆んな毎日のようにチェスをしたりカードゲームをしたりして和気藹々なのである。
そして老年の犯罪者はやはり少ないせいもあるのだろうか、収容者数も他の部屋に比べて少ないのだ、だからベッドも運がよければ1段だけのベッドで寝ることもできるし悪くても2段ベッドなのだ。他の部屋はと言えば鉄製の2段ベットの真ん中に、もう一個のベッドを無理矢理取り付けた3段ベットで寝かされるのだがこれが又狭い事この上無い。犯罪者が増えているせいで通常定員30人から40人ぐらいの部屋に倍以上の70人以上の人間が入るのだから仕方ないのだろう。
結論を言えばこの房には約2週間ほどしかいなかったのだが、この2週間は刑務所暮らしの中では1番平和な時であったと言える。
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(4/7/2022)
プロフィール
鹿児島県出身。国際結婚を果たしてラスベガスで生活したのち、ロサンゼルスに移住。
同コラムでは、犯してしまった犯罪とそれを償うための服役生活についてを明かすが、いたって普通の一般市民。二児の父であり、飲食業界に勤める。
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