長寿や若返りを願う「菊の節供」についてお話ししましょう|べっぴん塾

 

第四十回

長寿や若返りを願う
「菊の節供」についてお話ししましょう

九月九日は五節供の一つ「重陽の節供」です。陽の数字である奇数のうち、最大数である九が重なるとして「重陽」、別名「菊の節供」といいます。菊は薬として日本に伝わり、その高い香りが邪気を祓うとされ、菊を用いて長寿や若返りを願う風習が多く残されています。

節供には、床の間に飾り付けをして神へのお供えとする「床飾り」を行います。重陽の節供の床飾りは、菊、そして三方という白木の台に栗や柿、里芋などの秋の実りをのせ、長熨斗を添えます。供物を白木の台にのせるのは、神饌を清らかなままにお供えしたい気持ちの表れです。最も格が高いとされる白い菊を一番高い位置に据え、真ん中の位置に黄色、一番低い位置に赤色の菊を置き、紅白の紙で包み、水引を結びます。
床の間がなくとも、家の中の最も鎮まった落ち着く場所を床の間と見立て、床飾りをされてみてはいかがでしょうか。重陽の節供の雰囲気を感じていただけることと思います。

重陽の風習に「菊被綿」があります。前日九月八日に菊の花を真綿で覆ってその香りをうつし、翌九日、朝露に湿った真綿を顔にあてると若さが保たれると伝わっています。菊被綿は今から約1100年前、平安前期の宇多天皇の頃に始まったもので、その頃はまだ細かい決まりはなかったようですが、近世に入り、「白菊には黄色の綿を 黄色の菊には赤い綿を 赤い菊には白い綿を覆う」との記述が「後水尾院当時年中行事」などに見られるようになり、さらに綿の上にも小さな菊綿を〝しべ〝のようにのせるといった決まりができていったようです(一般の人は〝しべ〝の綿はのせない)。古典文学にも「枕草子」「源氏物語」「弁内侍日記」などを始めとしてよく描かれ、中でもよく知られた逸話は、紫式部が藤原道長の嫡妻源倫子より菊被綿を送られてとても感激し、
「菊の花 若ゆばかりに 袖ふれて 花のあるじに 千代はゆづらむ」と和歌を詠んだと「紫式部日記」や「紫式部集」に記されています。

衣紋道高倉流の「菊被綿」。真綿をなでて艶を出し、菊の花をこっぽりと被います。
白い菊には黄色い綿を、黄色の菊には赤い綿を、赤い菊には白い綿を被せます。

(9/10/2025)


筆者・森 日和

禮のこと教室 主宰 礼法講師
京都女子大学短期大学部卒業後、旅行会社他にてCEO秘書を務めながら、小笠原流礼法宗家本部関西支部に入門。小笠原総領家三十二世直門 源慎斎山本菱知氏に師事し、師範を取得する。2009年より秘書経験をいかし、マナー講師として活動を開始する。
2022年より、廃棄処分から着物を救う為、着物をアップサイクルし、サーキュラーエコノミー事業(資源活用)・外国への和文化発信にも取り組む。
https://www.iyanokoto.com

 

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