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アメリカ101 第144
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「開会式」まで「あと5年と361日」というカウントダウン(秒読み)が始まりました。ロサンゼルスで2028年に開催される夏季オリンピックのことです。IOC(国際オリンピック委員会)のトーマス・バッハ会長やギル・ガルセッティ市長が加わって日程発表があった7月18日の記者会見は、日本人にとっても因縁のある、ダウンタウン南に位置するロサンゼルス・メモリアル・コロシアムに隣接したスイミングプールが会場でした。
ロサンゼルスで夏季五輪が開催されるのは、1932年と1984年に次いで3回目となります。同一都市での夏季五輪3回開催は、ロンドンとパリ(2024年予定と並んで、最多です。そして特記すべきは、メインスタジアムがいずれも同一施設という、IOCが強調するレガシー(伝統)を体現するものでもあります(2028年大会の開会式は、コロシアムに加えてイングルウッドのSofiスタジア
ムで同時開催予定)。
そして、このスイミングプールは、「水泳王国日本」を名を高めた日本選手の活躍の場であったのです。それというのも、同大会では競泳では男子6種目、女子5種目が実施されたのですが、日本勢は男子では400メートル自由形を除く5種目で金メダルを獲得、とくに100メートル背泳はメダルを独占する大活躍でした。女子では、前畑秀子が200メートル平泳ぎで銀メダルを手にしていますが、わずか0・1秒差で金メダルを逃すというドラマもありました。そして、これが、次の1936年のベルリン大会での「前畑ガンバレ」放送に繋がるわけです。前畑は、ロサンゼルス大会後、和歌山の実家の豆腐家業の関係で引退を考えていたのですが、僅差での惜敗であり、しかも日本の女子アスリートとしての初の金メダリストを期待する“世論”に押されて、ベルリン大会で再度挑戦することになります。1933年には世界新記録を樹立するなど、さらに実績を重ねて同
大会に臨んだのが、地元ドイツのマルタ・ゲネッゲルとの「歴史的接戦」でし
た。
前畑にとって接戦といえばロサンゼルス大会での惜敗という“悪夢”があるわけで、それを共有していた日本国民の期待を背にしていたのが、「前畑ガンバレ」中継放送です。ちなみに私事ですが、筆者の母親は、前畑の出身校である名古屋の椙山女学校の4年後輩で、生存中は、何か家族の集まりで昔話となると、決まって「前畑ガンバレ」の話が出てくるので、その度に苦笑して聞いて
いたものです。
現地からのNHKラジオ中継にあたったのは、河西三省アナウンサー。前回のロサンゼルス大会でも取材・放送に加わっており、ベルリンでの前畑の400メートル平泳ぎ決勝中継は彼にとっても因縁のレースだったようで、それが感情丸出しの「応援中継」となったとみられています。この実況中継は後にSPレコード化され、現在でもYouTubeで「前畑がんばれ」と入力すると、音盤再生だけではなく、関連ドキュメンタリー映像を視聴可能です。「LA28」というエンブレムの2028年ロサンゼルス夏季オリンピックは、2028年7月14日から同30日までの16日間で、続いてパラリンピックが同8月15日から同27日まで開かれます。主競技場を先頭に、すべてのスポーツ施設や選手村(UCLA寄宿舎利用)は既設のものを使用するという、コスト削減を徹底させた、これまでのオリンピックでは前例のない「節約大会」となります。
あと6年足らずというわけですが、大会と直接関連した施設面では問題はないというものの、「ホームレスの首都」(Homeless Capital of the World)を悪名を返上することができるかが最大の課題というのが悲しい現実です。
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著者/ 佐藤成文(さとう しげふみ)
通称:セイブン
1940年東京出身。早稲田大学政治経済部政治学科卒。時事通信社入社、海外勤務と外信部勤務を繰り返す。サイゴン(現ホーチミン市)、カイロ、ベイルート、ワシントン、ニューヨーク、ロサンゼルス各支局長を歴任し、2000年定年退社。現在フリーランスのジャーナリストとしてロサンゼルス在住。
(7/19/2022)