
第四十三回
「日の出」ではなく、「月の出」
十月六日は十五夜です
皆様は、月の出を待ったことはありますか。日の出ではなく、月の出。古の日本人は月が出てくるのを今か今かと待っていたようです。
今、私たちは太陽の動きをもとにして作られている「太陽暦」を使用していますが、それ以前の日本は、月の満ち欠けをもとに、季節をあらわす太陽の動きを加味して作られた「太陰太陽暦」を使っていました。日本では明治6年に新たに太陽暦が採用されたことから、今の暦を「新暦」、前に使っていた暦を旧暦と呼んでいます。旧暦は新月を一日とし、月は十五日目に満月となります。満月を「十五夜」と呼ぶのは、十五日目の月だから。特に一年のうちで最も美しいとされる旧暦八月十五日の月を「中秋の名月」と呼び、月をめでる宴が催されてきました。八月十五日を指す中秋と同じ読み方の「仲秋」は、秋(旧暦の七月から九月)の仲をとりもつ月として、八月の一ヶ月間を指します。
旧暦の八月十五日は新暦の九月の中頃から十月の初め頃。今年は十月六日がその日にあたります。
日本語には数多くの月を表わす言葉があります。例えば、月の様子を表わして、白く冴えた月を「素月」、薄雲のかかった月を「薄月」や「朧月」、夜明けまで残っている月を「有明月」。また、月への気持ちがあふれている呼び名も。例えば、十四日目の月は、明日の満月を心待ちにする月という意味の「待宵月」、十六日目の月は、十五夜よりやや遅れて出るので「十六夜月」。「いざよう」とは「ためらう」という意味です。「月が出るのをためらっている」なんて、なんともかわいらしい解釈です。「今か今かと立って待つうちに月が出た」という十七日目の月「立待月」、「なかなか出てきてくれないから座って待ったよ」という十八日目の月「居待月」、「いよいよ寝ながら待った」という十九日目の月「寝待月」など。
そこまで注目されると、月も照れてしまって、ほんとうに出るのをためらっているのかもしれませんね。

(10/3/2025)

筆者・森 日和
禮のこと教室 主宰 礼法講師
京都女子大学短期大学部卒業後、旅行会社他にてCEO秘書を務めながら、小笠原流礼法宗家本部関西支部に入門。小笠原総領家三十二世直門 源慎斎山本菱知氏に師事し、師範を取得する。2009年より秘書経験をいかし、マナー講師として活動を開始する。
2022年より、廃棄処分から着物を救う為、着物をアップサイクルし、サーキュラーエコノミー事業(資源活用)・外国への和文化発信にも取り組む。
https://www.iyanokoto.com





