海を越えた 6人の先生たちー。 |べっぴん塾

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第八十六回
海を越えた6人の先生たちー。


台湾の未来を変えた教育の情熱

「1895年から50年間、下関条約により、台湾は日本となりました。もともとアジアの最貧地域の1つだった台湾に、日本の先人たちは奇跡を起こしてくれました」と台湾人通訳の李久惟さんはおっしゃいます。台湾を安定した豊かな地にすること、それが台湾を統治する日本の最重要課題でした。日本治世の功績は大きく分けて3つあったと李さんはおっしゃいます。1つ目は農水(食べ物と水)、2つ目は近代化の基礎インフラの整備、3つ目は教育です。

後に台湾の民政局初代学務部長(台湾の教育行政のトップ)となる、当時学務部長心得の伊沢修二は、初代台湾総督に就任した樺山資紀に「(台湾の統治政策の中で)教育こそ最優先すべき」と教育の必要性を訴え、1895年6月に、日本全国から選ばれた教師たち(後に、台湾の皆さまから「教育者の鑑」として尊敬を集め、「六士先生」と呼ばれる、楫取道明(38歳/吉田松陰の甥)、関口長太郎(37歳)、中島長吉(25歳)、桂金太郎(27歳)、井原順之助(23歳)、平井数馬(17歳)の6名と山田耕造の計7名)と共に台湾へ渡り、台北北部の芝山巌に「芝山巌学堂」という学校を設立します。

当初6人だった生徒も、次第に地域の人たちに受け容れられ、9月には21人に増えましたが、日本統治に反感を持つ部族による暴動は多く起こっていました。「台湾はずっと外から来た人たちに騙され、土地を取られ、武器で脅され、殺され、それをずっと繰り返してきた歴史がある為、ながらく『人など信用するな』『自分の一族以外は助けるな』と教えられてきたんです。山賊や海賊といった集団もまだ多くいた上、当時の台湾はあらゆる疫病が流行していて、とても危険な場所でした。そんなところに行くなど、台湾人の私でも考えてしまいます。それなのに日本の先生たちは台湾に来てくれたんです」と李さんは目を潤ませながら話して下さいました。危険をものともせず、「台湾の子どもたちに教育を」と教師たちは命を賭して海を渡ったのです。
(次号に続く)

(8/5/2026)


筆者・森 日和

禮のこと教室 主宰 礼法講師
京都女子大学短期大学部卒業後、旅行会社他にてCEO秘書を務めながら、小笠原流礼法宗家本部関西支部に入門。小笠原総領家三十二世直門 源慎斎山本菱知氏に師事し、師範を取得する。2009年より秘書経験をいかし、マナー講師として活動を開始する。
2022年より、廃棄処分から着物を救う為、着物をアップサイクルし、サーキュラーエコノミー事業(資源活用)・外国への和文化発信にも取り組む。
https://www.iyanokoto.com

 

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