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第八十七回
海を越えた6人の先生たちー。
「芝山巌精神」が台湾に残したもの
「1895年の暮れ、暴動が頻発するようになり、芝山巌学堂地域の地元の人たちは日本人教師たちに避難を勧めました。しかし教師たちは、「身に武器を持つことなく民衆の中に入っていかなければ、教育というものはできない。もし我々が襲われ、殉ずることがあっても、台湾の子弟に日本国民としての精神を見せることができる」「死して余栄あり、実に死に甲斐あり」と言って、その地を離れようとはしませんでした。年が明けた1896年の元日に「芝山巌事件」が起こります。匪賊の襲撃にあい、6名の教師が帰らぬ人となったのです。教師たちは抵抗することもなく、匪賊に対しても最後まで教育の大切さを説いたと伝わっています。
困難な状況や危険の中でも、「斃れて後已む(命が尽きて倒れるその瞬間まで、諦めずに努力し続ける)」を示した教師たちの姿は、後に「芝山巌精神」と呼ばれ、台湾教育界の指針となります。
6名もの教師が亡くなり、台湾の教育の行く先が危ぶまれましたが、その後も次々と使命を感じた日本人教師たちが海を渡り、その志は途絶えることなく紡がれていったのです。
そうして、日本統治が始まった頃は10%に満たなかった識字率が統治を終える頃には90%を超え、5%に満たなかった台湾の子どもたちの就学率も80%以上となりました。
台湾人通訳の李久惟さんはおっしゃいます。「山の奥まで学校を建て、台湾に教育を取り入れたのが日本。台湾は50年間の日本統治下での教育制度のおかげで、世界的にも先進的な国になれた事実は否めない」「先住民族は30部族以上いて、それぞれが違う言語で話していたので、お互いを理解する為には通訳が必要だった。日本語が共通言語となることで、お互いが考えていることが分かり、初めて台湾に『国としてひとつ』という国家意識を持てたのかもしれない」「当然最初から望んで日本語を学んだわけではない。しかし、あらゆる原住民族の言葉を学び、台湾全域にわたって風俗や習慣を事細かにとてもたくさん調べ上げる日本人の姿を見て、信頼が増し、日本語を積極的に学ぶようになったのだと思う」

(8/12/2026)

筆者・森 日和
禮のこと教室 主宰 礼法講師
京都女子大学短期大学部卒業後、旅行会社他にてCEO秘書を務めながら、小笠原流礼法宗家本部関西支部に入門。小笠原総領家三十二世直門 源慎斎山本菱知氏に師事し、師範を取得する。2009年より秘書経験をいかし、マナー講師として活動を開始する。
2022年より、廃棄処分から着物を救う為、着物をアップサイクルし、サーキュラーエコノミー事業(資源活用)・外国への和文化発信にも取り組む。
https://www.iyanokoto.com
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