30年続く “ありがとう”の物語 |べっぴん塾

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第八十五回
30年続く“ありがとう”の物語


台湾と日本、災害を越えて支え合う絆

「日本が困っているなら助けたい。だってね、一九九九年の台湾地震の時に日本人に良くしてもらったからね。」
こちらは、東日本大震災の際に寄付をして下さった台湾のかたのお言葉です。「いち早く台湾に駆けつけてくれた日本の救助隊が、亡くなった人達を自分の家族のように丁寧に瓦礫をよけて運ぶ姿、それを見て多くの台湾人が感動したんだ」と。

日本から台湾に派遣された救助隊は国際救助隊のなかで最も人数が多く、しかも、海外へ派遣した救助隊として、史上最大規模のチームでした。台湾の大地震が起きてから数時間後には、警察庁、消防庁、海上保安庁に救助隊を組織する指示が出、震災当日の夕方には既に羽田空港で待機をしていました。「東日本大震災の時、台湾の救助隊には恩返しという気持ちがあったのだと思う」と台湾人通訳の李久惟さん。台湾と日本は、過去にも有事の度に、互いに心のこもった支援をしてきたとお聞かせ下さいました。

一九九九年の台湾地震で三階建ての校舎が全壊した台中市の健民国民小学校には、阪神・淡路大震災で被災した兵庫県などから多額の募金が送られ、新しい校舎が建てられました。東日本大震災では、その新校舎で学ぶ子どもたちが「恩義を忘れない」という校長の呼びかけに応えて、お小遣いを持ち寄り、合計一九〇万円を日本赤十字社に送って下さったそうです。

続けて李さんはおっしゃいます。「驚いたのは、あの時(東日本大震災の時)、小学生からおじいちゃん、おばあちゃんたちまでどの世代も同じく、日本を支援したいという気持ちで一つになったことでした。それは、一九九九年の日本から受けた支援ヘのお返しという気持ちはあったと思いますが、私はそれだけではなく、他の国に対するのとは違う、日本に対する特別の感情が心の深いところにあると深く感じたのです。」
「いつか日本に恩返ししたい。それが日本統治時代を生きた祖父母世代の願いであり、かつて日本が台湾に施した教育のおかげでもある」と。「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ(かんきゅうあればぎゆうこうにほうじ)」だと。
(次号に続く)

(7/29/2026)


筆者・森 日和

禮のこと教室 主宰 礼法講師
京都女子大学短期大学部卒業後、旅行会社他にてCEO秘書を務めながら、小笠原流礼法宗家本部関西支部に入門。小笠原総領家三十二世直門 源慎斎山本菱知氏に師事し、師範を取得する。2009年より秘書経験をいかし、マナー講師として活動を開始する。
2022年より、廃棄処分から着物を救う為、着物をアップサイクルし、サーキュラーエコノミー事業(資源活用)・外国への和文化発信にも取り組む。
https://www.iyanokoto.com

 

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