よちよち歩きから4回転ジャンプまで 世界への夢を叶える

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村上大介
Daisuke Murakami

フィギュアスケートコーチ/フィギュアスケート元日本代表

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村上大介ウェブサイト https://linktr.ee/diceskates
インスタグラム www.instagram.com/Diceskates

2018年にフィギュアスケート現役を引退後、5年間オレゴン州のアイスアリーナでコーチを務め、今年6月よりOCのアーバインにあるアリーナ「グレートパーク・アイス」で次世代スケーターの育成に力を注ぐ村上大介コーチ。

カリフォルニアには「ホームタウンに戻ってきた」という表現がしっくりとくる。神奈川県生まれ。9歳で家族とサンディエゴに移住した村上コーチが、アイススケートに出会ったのは渡米してすぐのこと。「モール内にあるアイススケート場を初めて見て、母に『僕もスケート滑りたい』とねだったのが始まりです。氷の上に初めて立った時に自然に滑れた。とても楽しかったのを覚えています」。間もなく、サンディエゴのアイスアリーナで開かれたセミナーで出会った世界的コーチに才能を見出されたのをきっかけに、世界の頂点を目指すようになった。その後ロサンゼルスに拠点を移し、世界的選手を多数輩出するタミー・ガンビル氏など名コーチらに師事。2004年には全米選手権ノービスクラスで2位を獲得。同年よりアメリカ代表に選出され、2006年の全米選手権ジュニアクラスで4位、世界ジュニア選手権では11位の成績を残した。「その当時、イーストLAで浅田真央元選手と一緒にトレーニングを行っていました。彼女のお母さんは僕の母と仲良しで、日本国籍である僕は将来的に日本代表として活躍するほうが良いのでは、と勧められ日本に行くことを決めました」

 2007年に所属を日本に移して以降、浅田真央、羽生結弦など日本を代表するアスリートたちと共に日本のフィギュア界を牽引するようになる。「日本も世界トップレベルの強豪。とにかく日本のために良い成績を残したいという気持ち、アメリカでは感じたことのなかったプレッシャーを強く感じるようになりました」

 自身にとってブレイクアウトになったのは、2014年NHK杯での優勝だ。「その2年前のNHK杯で試合中に右肩を脱臼して棄権となった僕にとってNHK杯にはトラウマさえあった。しかも、ケガも多く納得できる成績を出せなくて、今年がもうラストかなとも思っていたんです。ところが、その大会では日本人で初めて4回転ジャンプを3回成功させて優勝することができた。一転して、その後は風向きがどんどんとポジティブに変わっていきました」

 現役引退後は、将来のメダリストを誕生させるべく日々スケートリンクに向かう村上コーチ。「フィギュアスケートは、たった約4分間の氷上のパフォーマンスでどれだけインパクトを残せるか。最高の瞬間をみせるために来る日も来る日も氷の上で必死に練習するんです。今よちよち歩きの子供たちが4回転ジャンプを飛ぶ世界のアスリートになるまで。僕が通ってきた道や学んだことを糧にして、彼らが夢を叶えられるように力になっていきたい」

メダルを手に羽生結弦選手と

(7/25/2023)

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