広告

.
川畑 まりゐ
Marii Kawabata
振付家・ダンサー
.

奄美のルーツを大事にしながら国内外で活躍中。
LAに様々な県人会があることは知られているが、LA奄美会があることをご存知だろうか。その歴史は長く、昨年50周年という節目を迎え、式典が開催され、300名もの人々が集った。川畑まりゐさんは8名のアメリカのプロダンサーや島出身の後輩ダンサーを率いて踊りを披露した。彼女はLAのダンスカンパニーに所属する若き有望なダンサー。どのように現在地に辿り着いたのか、話を伺ってきた。
1996年鹿児島県奄美大島出身。「まりゐ」という名は「海外でも通用するように」と母が名付けてくれた。島のダンス教室に4歳から通い、踊ることに夢中になった。地元の進学校に通ううち「自分が求めている学びやコンテンツがそこにない」ことに気付いた。強制的な受験勉強や国公立大学への進学率を気にする高校の在り方に違和感を抱き、それに時間を使う意味を感じられなくなったからだ。
「日本に自分の求める場所はないという感覚がありました。卒業後は渡米し、本場のダンスを学びたいと思っていました」受験勉強より自分にとって必要な英語力の向上を優先した結果だった。また、親友・平田まりなさんとの出会いも大きかった。「高校からプロの島唄の唄者として活躍していた親友と、いつか島を、日本を飛び出し、2人で舞台に立とうと夢を語ったりしました」のちにそれが叶うとは、もちろん高校時代の2人は知る由もない。
18歳で渡米。サンタモニカカレッジのダンス科で学んだ。「日本のダンス界はテクニックや基本を重視する一方、アメリカでは自己表現が大切にされています。テクニックよりも人に伝えるエネルギーが強いほうが重要で、その人にしかできないストーリーや生き様を踊りで表現することが求められます」ダンスカンパニーKeshet Chaim Dance Ensembleにパフォーマーとして所属しながら、小学校でダンス指導をする忙しい日々を送る。
彼女は2016年に日本に一時帰国した後、実に7年間日本に帰らなかった。7年後の2023年に島に帰った際、気付いた発見がある。「自分の探しているものはずっと島の外にあると思っていました。でも違いました。自分の根源である島にそれはあったんです。島と向き合って、アメリカで表現していくことが私のやりたいことなのです」
そのとき彼女の軸は決まった。島唄にはそもそも踊りはついていないのだそうだ。コンテンポラリーダンス×島唄/奄美文化を融合したダンス作品を創作する日々が始まった。島の文化や島唄の意味を理解することを一番大事にしている。彼女の創ったダンス作品がLAの振付家たちのイベントに選出され、注目を集め始めた。「将来は島にダンサーを連れていき、島とLAを踊りで繋ぐという目標があります」


(5/6/2026)
.
.
.
.




















