.
Vol.15 ▶︎一昼夜走り続けた28時間40分
.
左腕のガーミンの距離表示は、すでに100マイルを超えている。GPS機能が当てにならないのは、今に始まったことではない。ゴールまでの距離は、おそらく10マイル(16㎞)程度だろう。30時間のタイムリミットまでに残された時間は約4時間。右ひざの痛みは針を刺すような刺激に変わっている。時間は充分にあるが、気は抜けない。
幅の狭いトレイルは、右側が山の斜面、左は切り立った崖だ。長い夜を終え、無事に朝を迎えるためには、足元だけに意識を集中させる必要がある。 先ほどまで闇に包まれていたフォルソム湖と、その向こうに連なる山々が一瞬見えた気がした。目を凝らすと、山々は姿を消した。暗闇では、視界の隅に捉えたものが、敢えて目を凝らすと見えなくなる事がある。光と形状を認識する機能が、それぞれ眼球内側の異なった部分にあるためだと聞いたことがある。 山々は決して幻ではない。あと数分もすれば、朝日に映し出され、そのシルエットが、はっきりと見えて来ることだろう。漸くここまで来た。昨日の午前5時にスタートし、一度目の朝を期待と不安とともに迎えた。
その後、ボランティアやランナー達に励まされながら、疲れた脳をだまし、膝の痛みをこらえて、一昼夜ひたすら走り続けた。 山々のシルエットが影絵のように浮き上がってきた。幻ではない。しばし立ち止まり、曙の空を楽しもう。オレンジと紫のグラデーションが空を覆う。刻一刻と変わる色彩の変化を一時も見逃したくない。疲れた目を見開く。これほどまでに、朝の訪れを心待ちにし、太陽の光を愛おしく感じたことが、嘗てあっただろうか。朝焼けに映えるフォルソム湖が言葉にできないほど美しい。
.
28時間40分。痛みを堪えて涙のゴール
.
昇る太陽に励まされ、疲労感は一気に吹っ飛び、右膝の痛みも忘れて・・・と、言いたいところだが、現実はそれほど甘くない。気持は高揚し、鼻歌交じりではあるが、ペースは相変わらず遅い。膝も痛い。 96マイル(153㎞)地点。今回のレースで最後のエイドステーションとなるのは、昨日ハロウィンの飾りつけでランナーにHappyを振舞ていた、グラナイト・ビーチ。駐車場に近づくと、一人の女性ボランティアが、「Oh, It’s you ! Welcome back!」と、とびきりの笑顔とハグで迎えてくれた。24時間以上前に会ったランナー全員の顔を覚えているとは思えないが、心からの祝福であることに間違いない。
昼夜走り通して、汗と泥で小汚い見知らぬランナーをハグするのは容易なことではない。熱いものが込み上げてくる。 水も食料も十分にある。最後のエイド・ステーションは、ボランティアに手を振りながら、心からのお礼を述べ、素通りした。残り僅か数キロ。全力を出し切るのみだ。まだ、超えるべき山が前方にある。 数年前には想像すらできなかった、100マイルという途方もない距離。完全なる未知の領域だった。本格的にレースの準備に入ったのは半年前。それからの6カ月間は無我夢中でトレーニングに励み、やるべき事はすべてやった。 ゴールが堤防の先に見えてきた。最後は、持てる力を全てを出す。
痛みに耐えながら、ひたすら走る。緑色のアーチが間近に迫ってきた。自分自身に問い掛ける、「Getting closer to the man I wanna be ?」 ゴールの後ろで、大声で叫びながら手を振る妻の姿が見える。
.
待ち望んだ夜明け。息をのむほど美しい
.
(6/8/2022)
Nick D (ニックディー)
コロンビア、メキシコなど中南米での十数年の生活を経て、2007年よりロサンゼルス在住。100マイルトレイルラン、アイアンマンレースなどチャレンジを見つけては野山を駈け回る毎日。「アウトドアを通して人生を豊かに」をモットーにブログや雑誌への寄稿を通して執筆活動中。