弱小チームから 甲子園へ |べっぴん塾

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第八十八回
弱小チームから甲子園へ


台湾代表・嘉農ナインを
変えた名将の教え

8月22日、全国高等学校野球選手権大会「夏の甲子園」の決勝戦が行われます。今年で108回目を迎えた伝統の大会に、台湾代表チームが出場していたことをご存知でしょうか。日本統治時代、台湾のみならず、朝鮮や満州の学校も公式戦に出場していました。

1931年の台湾代表、嘉義農林学校(嘉農)は日本人と漢族、高砂族の混成チームでした。そのようなチームは勝てないと言われていましたが、それぞれの長所を活かすことにより、日本人だけでチームを構成していた学校を次々と打ち破り、台湾一となったのです。

(裕仁親王(昭和天皇)が皇太子時代に訪台されるまでは、清代から先住民は「蕃人」と呼ばれていました。日本統治の下でも引き継いでそのように呼んでいたのですが、裕仁親王は「それではあまりに気の毒だ」と、「高砂族」とお名づけになりました。それ以来、日本では台湾の先住民をすべて高砂族と呼ぶようになりました。)

松山商野球部の初代監督を務め、同校初の全国大会出場、ベスト8に導いた名将、近藤兵太郎が嘉義市内の商工学校に赴任していました。1928年に結成したばかりの嘉農野球部から依頼を受け、近藤が野球の指導にあたるようになります。

当時の嘉農野球部は部員も少なく、やる気もない弱小チームでした。しかし、近藤と出会い、子どもたちは甲子園出場の夢を抱き始めます。監督自ら部員獲得や費用の工面、施設や用具の整備などをし、雨の日には野球のルールや作戦、技術向上に欠かせない講義、そして精神訓話、礼儀作法まで伝えます。
「球は霊なり」「霊正しからば球また正し、霊正しからざれば球また正しからず」。近藤が教え子たちに遺した言葉です。

「『霊』は魂のこと。近藤監督は『魂の入ってない野球はやるな!』とおっしゃっていた」と、嘉農野球部OBの劉正雄さんは懐かしそうに話されます。米国から教わったベースボールは、この時すでに、礼節を重んじ、精神力・魂を鍛え、人としての成長を重んじる日本的な「野球」となっていたのです。
台湾代表を接戦で勝ち取り、1931年、嘉農の球児たちは海を渡ります。
(次号に続く)

(8/19/2026)


筆者・森 日和

禮のこと教室 主宰 礼法講師
京都女子大学短期大学部卒業後、旅行会社他にてCEO秘書を務めながら、小笠原流礼法宗家本部関西支部に入門。小笠原総領家三十二世直門 源慎斎山本菱知氏に師事し、師範を取得する。2009年より秘書経験をいかし、マナー講師として活動を開始する。
2022年より、廃棄処分から着物を救う為、着物をアップサイクルし、サーキュラーエコノミー事業(資源活用)・外国への和文化発信にも取り組む。
https://www.iyanokoto.com

 

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