智識の光と大仏造立|べっぴん塾

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第七十七回

智識の光と大仏造立
聖武天皇が見出した民との協働

先週号に続き、奈良の大仏に込められた聖武天皇の想いについてお話ししましょう。
災いが起こるのは天皇である自分に原因があると考え、汚職を正して政治の安定に努め、福祉を充実させ、生活に困っている人々には税を免除し、食料を与えるなど、あらゆる施策を講じました。しかし、どんなに尽くしても、災いは起こり、疫病によって多くの民の命が奪われていきます。

深く悩むなか、天皇は大阪にあった「智識寺」という寺の一体の仏像と出会います。それが廬舎那仏でした。そして、この寺の建立の経緯をお知りになります。
当時、寺院は権力者の命令で建立するものでしたが、智識寺と廬舎那仏は、地域の人々が財産や労働力を持ち寄ってつくりあげたものでした。

「智識」とは、全ての人々の心や願いを結集すること。どんなに些細な物であっても持ち寄ることの集積がいかに巨大なものとなるか、また、その行動が、民衆一人一人の自発的な、つまり強制ではないことによって、智識は無限大であるということに天皇は深く感銘を受けます。
「自分が、自分が」と一人で奮闘してきた天皇の脳裏に、「民と手を携え、一丸となってこそ、悪化する一方の現状に抗えるのではないか」という考えがよぎります。

「その為に大きな目標を掲げ、向かう方向を皆に示す必要がある。」

こうして天皇は天平十五年(七四三年)十月、「大仏造立の詔」を発し、大きな廬舎那仏を皆と協力してつくりあげることを決めたのです。

「天下の富を持つ者は私であり、天下の権勢を持つ者も私である。その富と権勢をもって大仏を作るのはたやすい。しかし、それでは心が通じない。一枝の草、一握りの土を持って大仏づくりを助けようとする者はすべて認めよう。」(続日本紀「大仏造立の詔)より)
大仏造立にあらゆる人々を受け入れ、天皇も自ら土を抱えて運んだことが伝えられています。

東大寺の大仏殿は、創建以来二度全焼し、その都度再建されています。
天皇が示されたリーダーとしてのお姿や、困難を乗り越えるための知恵という光は、東大寺がある限り、これからも日本に、世界に、世そして後世へと、あまねく放たれ続けることでしょう。

(6/4/2026)


筆者・森 日和

禮のこと教室 主宰 礼法講師
京都女子大学短期大学部卒業後、旅行会社他にてCEO秘書を務めながら、小笠原流礼法宗家本部関西支部に入門。小笠原総領家三十二世直門 源慎斎山本菱知氏に師事し、師範を取得する。2009年より秘書経験をいかし、マナー講師として活動を開始する。
2022年より、廃棄処分から着物を救う為、着物をアップサイクルし、サーキュラーエコノミー事業(資源活用)・外国への和文化発信にも取り組む。
https://www.iyanokoto.com

 

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