【手記 ケース3】重ねた小さな犯罪歴の代償〈後編〉

v

ロサンゼルス在住 J.Yさん(30代男性)

(前編より)

1年前、僕はほんの出来心でテーマパークの塀を越えてパーク内に侵入。シェリフに捕まえられ、違反チケットを渡され、裁判所の窓口に罰金を払いに行きました。ところが窓口では罰金だけでは済まず、裁判所に出廷するように言われたのです。弁護士に相談したら、「裁判官は君にプロベーション(保護観察)を言い渡す。なぜならば、君はこれまでの過去にいくつかの犯罪歴があり、それが追加されて重い刑になるだろう」とのことでした。弁護士の予測通り裁判で僕は、1年間のプロベーションのほか、50時間のコミュニティサービス、罰金を言い渡されました。

 

過去の犯罪

僕がアメリカで初めて逮捕されたのは16歳の時でした。当時、僕の父親はビジネスを営んでいましたが、それが突然破綻。家族は一文無しになり、食うや食わずの生活を送ることに。僕は、周りの友達はみんなリッチで、おこずかいももらえて、ビデオゲームやお菓子だってなんだって買ってもらえるのに、なんで自分は貧乏なんだろうと親を恨みました。そんな思いが爆発して万引きをして逮捕されました。

その後も父親は仕事を見つけるどころかギャンブルにはまり、母親も仕事をレイオフされて、家族はとうとう家を無くしてホームレスに。妹だけ友人の家にあずけて、僕は車の中で生活するようになりました。そんな生活が数ヶ月続く中でなんとかレント代と食費を確保しなければと、万引きを繰り返し、盗んだ物を売ってお金を作りました。どうにかこのどん底の生活から抜け出したいが、僕みたいなティーンネイジャーをフルタイムで雇ってくれる会社なんてあるはずもない。さらに僕は悪の道へ進んでいき、いつしかドラッグを売るようになりました。90年代後半は、ドラッグの中でもエクスタシーが人気となり、僕もたくさんのエクスタシーを売ってそれを主な収入源として、ドラッグ販売のコネクションもできました。そんな時、ドラッグディーラー仲間が逮捕され彼らは25年の刑を受けることになり、それと同時に僕のディーラーとしてのビジネスも終わりました

 

ドラッグ販売から窃盗の道へ

その当時僕は24歳。自分の将来を考えた時、このままドラッグディーラーとして生きていくのはまずい、学校にも通いたいと考えるようになりました。大学に入りましたが、授業料を払えなくなった僕は再び盗みを始めたのです。それも今度は、16歳の頃にしたような小さな万引きではない、本格的な窃盗です。高級セレクトショップやデパート、有名宝石店で有名ブランドジュエリーやハンドバッグ、デザイナーズブランドの洋服を盗み、電化製品を盗んでそれらを販売しました。そして今度は、マンハッタンビーチとシティオブインダストリーにある家電ショップで盗みを働こうとした時、二度ともアンダーカバーのエージェントに逮捕され、数日間ジェイルで過ごしました。

 

罪を犯さない人生を歩みたい

その後は、アメリカで人気となった日本のアニメーション関連のビジネスの仕事や、ポーカーディーラーなど様々な仕事をして生計を立て、大学の授業料を払い、この8年間は犯罪も犯していません。数年前から大学院で地質学を学び、来月卒業します。

 

ほんの出来心でテーマパークの塀を越えて逮捕されてしまった今回の事件は、そんな大学院卒業をあと1年というところで起きました。僕は、卒業したい、そしてその後は真面目に働きたいという気持ちを一生懸命に裁判官に理解をしてもらい、3年間のプロベーションを1年間にしてもらいました。

 

僕はもう二度と犯罪を犯しません。

v

v

ホームに戻る

他の事件をもっと読む


㊙️ザ・アメリカ生活  あの時何が起こった!?

長いアメリカ生活。生きていればあんな事やこんな事もあります。

今だから言えること、今でも言えないこと、今ここで告白します。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。