【手記 ケース5】記憶にない蛇行運転の恐怖〈前編〉

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ガーデナ在住  K.Eさん (男性・会社員 在米21年目)

今やUberもあればリフトもある。外で飲んでもDUIの恐怖におののきながら車を運転して帰る必要もない。想像するにUberやリフトの普及とともにDUIの検挙率も多少は減ったんじゃないかと思う。

 

思いおこせばかく言う僕も10数年前にDUIで逮捕された経験がある。その夜はガーデナの居酒屋で友人と飲んでいたのだが、お酒がとても進んだ覚えはある、しかしどれくらい飲んだのかはわからない。その後、深夜に友人と別れて店を後にしてガーデナの自宅に帰ろうとして車に乗り込んだのはかすかに覚えている。

 

その後の記憶は、すべて断片的だ。

 

断片的に405フリーウェイに乗って運転しているところや、ガーデナではなくカルバーシティやサンタモニカの緑の看板の文字、そして自分のその時の最後の断片的な記憶は、サイレンがピカピカと光り、車を止めた自分を目が覚めるほどまぶしいライトが照らした光景。

 

自分が覚えているのはそれが全てだ。ひどい頭痛とともに目覚めたら牢屋の中。その牢屋の中には何人かいたが日本人などいない。となりにいたヒゲ面の爺さんに聞いたら「あんた、ここはビバリーヒルズの裁判所の地下だよ」。ガーデナに帰るはずの自分がなぜビバリーヒルズにいるのか!? すべては前述のとおり「断片的」な記憶だけ。

 

周りをみると同じ牢屋の中に酔っぱらいや、囲いもなくむき出しになっている便器で恥ずかしげもなく用を足す男、ブツブツと壁に向かって独り言を言っている男、隣に座っている僕にわけもなくひたすら話しかける男・・・勘弁してくれ!こんなところ恐ろしくていられない、早く出してくれ~~!と心の中で叫びながら、アルコールからの眠気もあってそのまま長イスに横たわって寝落ちした。

 

牢屋の中から外部へ電話

 

何時間かして目が覚めたが牢屋の中は時計も窓も無いから、一体今が何時なのか朝なのか昼なのかもわからないが朝にはなっているだろう。おそらく会社では真面目で遅刻もしたことのない僕が出社してこないことで他の社員が心配しだしているころだろう。幸い部屋の片すみに外部へ電話をつないでもらえる公衆電話があったので知り合いの弁護士に救助の電話をかけることができた。そうこうしているうちに檻の向こうから警官に自分の名前を呼ばれて「おまえ、出なさい」と檻から出された。その警官に聞くと、これからこのまま裁判になるから、上の階にある裁判室に移動することを伝えられながら、警官は僕の腕に手錠をかけ、足首には足かせまではめられた。まるで刑務所にいる重罪人の気分だ。

 

通報された蛇行運転。そして逮捕

 

裁判室に入ると知り合いの弁護士がかけつけてくれていて、裁判官が僕に問いかけ、僕が「I am Guilty(有罪)」と答えてものの20分で裁判は終了した。

ビバリーヒルズ裁判所を出てすぐ隣にあるコーヒーショップに担当の弁護士と入り、まずはほっとひと息。弁護士は、どういういきさつで僕が逮捕されたのかを僕に伝えた。ガーデナの居酒屋を出た僕は、405フリーウェイを運転してサンタモニカブルバードで降りて下道をビバリーヒルズ方面に向かっていたそうなのだが、僕がひどい蛇行運転をしていたところを周囲を走っていた車何台かが危険を感じて通報した。そして逮捕に至ったのだ。

 

その時、知らされた。僕はサンタモニカブルバードを二車線をぐわんぐわんとまたぎながら、縁石にタイヤをぶつけながら10分以上も蛇行運転していたのだという。

 

そんな長い間、危険な運転をしながら本当に自分は他の車にぶつかったりしなかったのだろうか。本当に誰かを殺めたり傷づけたりしなかったのか。それは10年経っても、どんなに年月が経っても忘れられることのない罪であり、恐怖だということを、これから僕はだんだんと知っていくのだ。


㊙️ザ・アメリカ生活  あの時何が起こった!?

長いアメリカ生活。生きていればあんな事やこんな事もあります。

今だから言えること、今でも言えないこと、今ここで告白します。

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