【手記 ケース1】DUI : 刑務所暮らしを強いる実刑判決〈前編〉

v

トーランス在住 S.Gさん(男性)

それは5年前の3月某日のことでした。飲み会の後、すでに一度DUIで捕まったことがあるにもかかわらず未だ懲りずに車を運転していた時のことだ。ガーデナのウェスタンブルーバードの交差点を左折した時に、突然背後にポリスカーの瞬く光とサイレンの音、どうやら車線を外れていたらしい、しかし止まれば飲酒がバレる・・・やばい、どうする、また捕まってしまったら嫁さんや会社の人にも顔向けできん。

 捕まりたくない。混乱とともに様々な思いが頭の中を駆け巡る。そして半ば酔っ払った意識がそうさせたのか、パトカーの停止命令に従うどころか、こともあろうに自分は思いきりアクセルを踏み付けていた。最悪の選択。そうそれがカーチェイスの始まりだった・・・。アメリカに住んで10年以上、テレビでもよく見るカーチェイス。ほぼ100%の逮捕率、よもや逃げ切れるわけなどないのは重々承知しているはずだった。

 

なのに始めてしまった。俺は逃げている。頭の中ではこれで人生おしまいだなというあきらめと、いや逃げ切れるかもというかすかな願いに似た思いが浮かぶも、不思議とまだ遅くないから今からでも止まろう、というまともな考えには至らない。半ばやけくそ、もうしょうがない、やっちまったんだ、今さら止まれるか、なるようになれだ!とばかりに逃げ続けた。今考えれば最低の行為であるのだが(-。-;。

 

短くも長くも感じた数10分の追跡劇の後、カーブを曲がり損ねスピンした車を前後からポリスカーに挟み撃ちにされ、めでたく?御用となった。気持ちはもう絶望というほかない。気がつけば周りには7〜8台の警察車両、運転席から出てみるとよく映画でみた世界。ライフルや銃を構えた警官が車のドアごしにすべての銃口を自分に向けている。赤いレーザポインターが自分の目線や体に当たっている。うわーっ、撃たれる!死ぬかも、そう思い両手を上げ2〜3歩前に出た瞬間であった。前方の警官が何かを発射した。その瞬間は今でも鮮明に覚えている。それは螺旋状にくるくると回りながら自分の胸に突き刺さり、瞬間的にだが、すべての身体機能が停止!そのままの姿勢で前向きに倒れたのだった。それがテーザー銃といわれるスタンガンの電気ショック銃であったのだ。今考えればそれが銃弾でなかったことが幸運というしかない。

 

通常のDUIであれば警察内の留置場に泊まる程度で釈放となる(その後の罰則や刑罰はそれなりに厳しいのだが)。まぁ要するに軽量犯罪扱いなのだが、自分の場合は、これにカーチェイスが加味される。この場合、英語でfelonyという重量犯罪となるのだ。留置場から通称ツインタワーと呼ばれる拘置所に送られ、そこから裁判所へと送られる。刑が確定するまでの数ヶ月は拘置所暮らしとなるのだ。

 

裁判の罪状認定では、例えば抵抗の意思がないのに問答無用のテーザー攻撃を受けたなど、自分にも些少の言い分はあったのだが、全て警察の言い分に対して「I agree (私が悪ぅございました)」と罪を認めたのだ。が、しかし、とりあえずの身柄の釈放は叶わず、出たければ保釈金約15万ドル(日本円で1500万円)。そんなお金は到底持っておらず、カミさんが必死に奔走して探してくれたbail bonds(身柄を留置された人の保釈金を立て替えてくれる組織。成功報酬は約10分の1を支払うことになる)を使って出ることができた。

 

保釈されたのは、実に逮捕されてから半年が過ぎた頃だった。その後、紆余曲折いろいろとあったが最後の裁判で出されたのは、1年の務所暮らしを強いる実刑判決であった。自分としては実刑を覚悟していたので、残していくことになる女房子供の食べていくための手立てだけは付けておいたのだが。家を一緒に出るときには無理に笑顔を作っていた妻が、刑が確定し手錠をかけられてそのまま護送される自分を、泣きながら見送る姿が不憫で、また申し訳ない気持ちでいっぱいであった。

 

いよいよ、ここから、いわゆる凶悪犯罪者と暮らす最悪の日々が始まるのだ・・・。

 

(後編へつづく)

.

主人公S.G.が、体験することになった凶悪刑務所獄中生活についてさらに詳しく語る!
新コラム更新中!

.

v.

v

ホームに戻る

他の事件をもっと読む

 


㊙️ザ・アメリカ生活  あの時何が起こった!?

長いアメリカ生活。生きていればあんな事やこんな事もあります。

今だから言えること、今でも言えないこと、今ここで告白します。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。