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Vol.10 ▶︎真夜中のエイドステーションの天使たち
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太陽が頭上に差し掛かるころには、フォルソム湖とアメリカン・リバーを眼下に見下ろすシングル・トレイルを、ランナーの喜びに浸りながら走っていた。強い日差しは澄みきったアメリカン・リバーの川底まで届き、光と水の美しいグラデーションを作り出す。 ハワイをテーマに飾り付けられたカーディアック・エイドステーションでは、フラダンサー風に、胸にココナッツの殻をつけたコスチュームの男子高校生の出迎えを受けた。ここまで9時間15分。41マイル(66㎞)地点。このエイドステーションを超えると、急こう配の登りが数マイル続く。この先、80マイル(128㎞)地点までは、平坦な場所はほぼ皆無となる。ココナッツボーイの声援をエネルギーに変えて、次なるステーションに向けて軽快に走り出す。 45マイル地点(72㎞)に位置するオーバールック・エイドステーションは、アメリカン・リバーを見下ろす小高い丘の頂上にある。ここからペーサーの帆走が許されている。大勢のサポーターと、ランナーの到着を待つペーサー達で賑わっている。
距離にして僅か4マイルであるが、永遠に続くかと思われた長い坂を上り切ると、手を振る妻の姿が見えた。息はまだ切れているが、自然と笑みがこぼれる。時刻は午後3時を回ったばかり。ペースは始終抑え気味だが、予定より2時間ほど早い到着。少しのんびりする余裕はありそうだ。妻がドロップバッグを持ってきてくれる。数時間ぶりに芝の上に腰を下ろした。 ここまで粉末ドリンクと、ワッフル、ジェルでカロリーを取り続けている。未だ10時間しか経っていないのに、胃袋はムカムカし始めている。栄養補給は、ひと時たりとも欠かす事はできないが、甘いものは気が進まない。エイドステーションで、茹でたポテトを頬張り、ジンジャーエールで胃に流し込んだ。
午前2時過ぎのエイドステーションにて。元気に微笑むボランティア。本当に頭が下がる
今回のレースでは、スタート地点からゴールまでの間に、17のエイドステーションがある。全長160㎞のコース、平均で10キロ毎に水や食料が用意されている事になる。うち6か所のエイドステーションには、事前に着替えや、自前の栄養補給食などを入れたドロップバッグを送っておくことができる。多くのランナーは夜間用のヘッドランプ、防寒具、さらに履き替え用のシューズをこれらのステーションに分散して用意しておく。 ランナーの元気の源であるエイドステーションであるが、日中は汗を多くかくため水分・カロリーの消費が多く、それらの補給場所としての役割が大きい。一方で、レースも後半に入り、闇・孤独・疲労、この三拍子が揃う頃になると、エイドステーションはランナーの心の拠り所となる。
1時間、長い時には2時間以上に渡って、闇の中で道に迷わないか、転倒して怪我をしないか、体力は大丈夫か、動物に襲われないかと、孤独と不安に耐えながら走り続け、やがて前方に灯る明かりが見えて来た時には、砂漠でオアシスを見つけたような安堵感を感じる。エイドステーションに到着すると、夜を徹して働くボランティアの人たちが、旧知の友の様に迎えてくれる。そこで振舞われる水や食料補給は、当然欠くことのできないエネルギー源であるが、時に、暖かい励ましの言葉やハグは、それらを大きく上回る勇気やエネルギーを与えてくれる。 100マイルレースでは、「70マイルから本当のレースが始まる」という表現がある。フルマラソンでいう、30キロの壁のようなものだろう。これまでのレースでは62マイル(100㎞)が最長。70マイル以降は想像でしか訪れたことのない世界だ。不安はあるが、怖いもの見たさの好奇心が遥かに上回る。これから幾度となく、エイドステーションでボランティアの人たちの世話になるだろう。 45マイル(72㎞)地点のオーバールック・エイドステーションを後にしてから、約2時間。
アメリカンリバーと赤く染まる夕焼け。これから12時間の暗闇でのトレイルランが始まる
漸く中間地点辺りだろうか。周囲は薄暗くなってきた。最大500ルーメンのヘッドランプと、防寒用の長袖のレイヤーはベストに詰め込んである。驚くことに疲労感はさほどない。これから12時間にわたる暗闇が待っている。未知の世界に足を踏み入れる時は、いつでも心躍るものだ。シューズが砂利を踏む音が心地よいリズムを刻む。川沿いのトレイル。ふと振り返ると赤く染まる夕焼け空がそこにあった。
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(5/3/2022)
Nick D (ニックディー)
コロンビア、メキシコなど中南米での十数年の生活を経て、2007年よりロサンゼルス在住。100マイルトレイルラン、アイアンマンレースなどチャレンジを見つけては野山を駈け回る毎日。「アウトドアを通して人生を豊かに」をモットーにブログや雑誌への寄稿を通して執筆活動中。