マイク・ジョーンズ ・インタビュー|「好き」を仕事にしたら、 人生が動き始めた―。 Tire Rack創業者が語る、車への情熱と日本との出会い

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マイク・ジョーンズ
Mike Joines
Tire Rack エグゼクティブ・チェアマン

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アメリカのタイヤ・ホイール販売会社、Tire Rackの共同創業者。幼い頃から車に魅せられ、16歳で初めて自分の車を購入。大学卒業後は銀行員を目指していたが、車への情熱を見込んだ義父の勧めを受け、自動車業界へ。1979年、義父ピーター・ヴェルドマン氏とインディアナ州でTire Rackを創業した。タイヤの性能テストや顧客レビューなど、消費者が十分な情報を得て商品を選べる仕組みをいち早く導入し、90年代にはタイヤ販売のオンライン化を先駆けた。日本企業との関係も深く、故アンディー・安藤氏との交流を通じ、日本の自動車文化から多くの影響を受けた。2025年、タイヤ業界への長年の功績が認められ、Tire Industry Hall of Fame(タイヤ産業殿堂)入りを果たした。現在はTire Rackのエグゼクティブ・チェアマンを務める。
TIRE RACK.com
https://www.tirerack.com/

アメリカで暮らしていると、世界的に知られた企業や著名な経営者だけでなく、長年この国で仕事を続け、一つの分野を切り開いてきた人に出会うことがある。今回紹介するのは、タイヤ販売会社「Tire Rack」を創業し、小さなタイヤショップを全米規模のビジネスへと育てたマイク・ジョーンズ氏だ。その歩みを聞いて印象に残るのは、最初から大きな成功を目指していたわけではないこと。そして、その人生の節目には、日本企業や日本人との出会いがあったことだ。車好きの少年だったジョーンズ氏が、なぜタイヤの仕事を始め、どのように事業を成長させていったのか。その歩みと、これからの人生について聞いた。

車が好き。それが全ての始まりだった

私の人生を振り返ると、全ての始まりは「車が好きだったこと」です。父も車が好きで、自動車業界に携わっていました。幼い頃から父に連れられてオートショーやカーレースへ行き、新しい車が発表される時期にはディーラーへ足を運びました。模型の車を作り、ミニカーを集め、スロットカーで遊ぶ。車やレースに関する雑誌や情報は、手に入るものなら何でも見ました。気が付けば、車に夢中になっていたのです。

 10歳の時には、ラジアルタイヤと当時一般的だったバイアスタイヤの走りの違いを、助手席で体験しました。高速走行時の安定性や燃費、耐久性などに優れているラジアルタイヤは、現在の乗用車ではほぼ標準となっているのですが「タイヤによって、こんなに車の性能が変わるのか」と驚いたことを今でも覚えています。あの時の経験が、後の人生につながったのだと思います。

 16歳になったら自分の車を買う。その目標のために、芝刈りや新聞配達など、できる仕事は何でもしました。そして初めて正式に働いたのがファストフード店のマクドナルドです。そこで学んだのは、チームワークや効率、顧客サービス。そして、忙しい中でも仕事を楽しむことでした。振り返れば、そこで身に付けたことは、後に会社を経営する上でも大きな財産になりました。ただ、当時は銀行業界へ進むつもりでした。数字を扱うことが好きで、安定したキャリアになると思っていたからです。

 ところが大学時代、人生の方向を変える出会いがありました。妻と出会い、彼女の父親が自動車関連ビジネスを営んでいることを知ったのです。義父は私に、「君は車が好きなのだから、それを仕事にしたほうがいい」と言いました。その言葉が、私の人生を変えました。

小さなタイヤ店から始まった挑戦

起業した時、最初から大きな会社を作ろうと思っていたわけではありません。インディアナポリス(インディアナ州)で小さな建物を借り、約800本のタイヤを仕入れて店を始めました。経験も十分ではなく、毎日が勉強でした。最初は一般的な価格帯のタイヤを扱っていましたが、車好きだった私は次第に高性能タイヤに興味を持つようになりました。

 私が楽しいと感じたのは、単にタイヤを売ることではありません。「この車にはどんなタイヤが合うのか」「どうすれば、もっと安全に、もっと楽しく走れるのか」。お客さまと一緒に考えることでした。レース場へ一緒に行った仲間たちが顧客になり、その友人たちを紹介してくれる。好きなことを真剣に続けていると、人とのつながりが自然に生まれていきました。

 そして1980年代初め、私たちのビジネスに大きな転機が訪れました。日本のタイヤ会社との出会いです。当時その会社はアメリカで現在ほど高性能タイヤのブランドとして知られていたわけではありません。しかし、私たちはその製品に可能性を感じていました。高性能タイヤ「A001R」は、私たちにとって大きな意味を持つ商品でした。そしてその会社は、まだ小さな私たちと直接取引をしてくれた最初のタイヤメーカーになりました。

 それまで私たちは代理店を通してタイヤを仕入れていましたが、その会社は、単に商品を売るのではなく、「一緒に市場を作ろう」と私たちに声を掛けてくれたのです。私たちも高性能タイヤの魅力をアメリカの車好きに伝え、両社で市場を育てていきました。このパートナーシップは、Tire Rackが全国的なビジネスへ成長していく上で大きな力になりました。

 

日本から届いた「次の時代」のヒント

日本との関わりが深まるにつれ、私は日本の自動車文化そのものにも興味を持つようになりました。80年代後半から90年代初めにかけて日本を訪れ、その会社のテスト施設などを見学しました。そこで感じたのは、日本の仕事に対する誠実さと細部へのこだわりでした。できないことは「できない」と言う。約束したことは守る。そして、一度に大きく変えるのではなく、昨日より今日、今日より明日を少しずつ良くしていく。私は、こうした「継続的改善」の姿勢から多くを学びました。

 そして、日本との関係の中で忘れることのできない人物がいます。アンディー・安藤さんです。まだ私たちが本当に小さな会社だった頃、アンディーさんがインディアナポリスの店を訪ねてきました。彼は日本やカリフォルニアで起きている自動車文化の変化をよく理解していて、これから何が伸びるのかを見抜く特別な才能を持っていました。

 当時、日本では車を自分らしくカスタマイズして楽しむ文化が発展していました。アンディーさんは日本の自動車雑誌を箱いっぱい送ってくれました。私たちが日本で何が起きているのかを知り、それをアメリカ市場に生かすためです。

 特に大きな影響を受けたのが、「プラスワン」「プラスツー」と呼ばれる考え方でした。例えば13インチのホイールを14、15、16インチへサイズアップする。現在では珍しくない考え方ですが、当時のアメリカではまだ一般的ではありませんでした。

 アンディーさんは、日本で生まれていたこうした新しい車文化をアメリカへ紹介し、私たちが市場に提案するきっかけを作ってくれました。ただ、私が彼を高く評価していたのは、知識や先見性だけではありません。本当に誠実な人だったからです。私は彼を100%信頼していました。極端な話をすれば、会社の金庫の鍵を預けても心配しないと思えるほどです。アンディーさんは単なる取引先ではありませんでした。日本の自動車文化とアメリカ市場をつなぎ、私たちの成長を支えてくれた大切なパートナーです。彼が亡くなったことは本当に残念ですが、彼が残したものは今の自動車文化の中にも生きていると思います。

■2025年、Tire Industry Associationの殿堂入りを果たしたジョーンズ氏(右)。左は、日本人で2人目の受賞となったニットータイヤUSA 名誉会長/常勤顧問水谷友重氏

「売る」より、正しく「選んでもらう」

 Tire Rackを成長させる中で、私たちが大切にしてきたのは、お客さまが自分で納得して商品を選べるようにすることでした。タイヤは安全に関わる重要な商品です。でも、どの商品が自分の車に合うのかを判断するのは簡単ではありません。

 そこで84年、私たちはタイヤのテストを始めました。当時、タイヤの比較評価は主に自動車雑誌が行っており、販売会社自身がテストするのは珍しいことでした。さらに90年代初めには、お客さまからタイヤについての評価や感想を集め、データとしてまとめました。雨の日の性能はどうか。静かなのか。スポーツ走行に向いているのか。私たちが目指したのは、単にタイヤを売る会社ではありません。「信頼できる情報を提供する会社」でした。

 96年にはインターネットを活用して情報を発信し、99年にはオンライン販売を始めました。インターネットによって、それまで自動車雑誌を読むような車好きに限られていた情報を、もっと多くの人に届けられるようになりました。

 車好きでなくても、大きな買い物をする時には他の人の経験や評価を知りたいものです。タイヤも同じです。私たちは、お客さまがたくさんの情報の中から、自分に合ったものを選ぶための手助けをしたかったのです。その考え方は今も変わっていません。

これからは、人のためにできることを

 私のキャリアで最も誇りに思うのは、会社の規模だけではありません。小さな店から始まった会社が、多くの人の人生に関わる存在になったことです。Tire Rackには、30年、40年と働いてくれている社員がいます。会社を成長させるということは、数字を大きくするだけではありません。一緒に働く人たちが人生を築ける場所を作ることでもあると思っています。

 今は、私の息子を含む次の世代も会社に関わっています。彼らには、これまで築いてきたものを守るだけでなく、新しい時代に合わせて進化させてほしいと思っています。
 自動車業界は、EV(電気自動車)やAI、自動運転など大きく変化しています。それでも、人がより良いものを求める気持ちはなくならないでしょう。車がどのような形になっても、自分らしさを表現したいという気持ちは残ると思います。

 そして私自身も、これからはビジネスだけではなく、人を助ける活動に力を入れたいと考えています。特に関心があるのは、交通手段を必要としている人たちへの支援です。アメリカでは、車がなければ仕事へ行くことが難しい地域がたくさんあります。交通手段を失うことで仕事を失い、生活が困難になる人もいます。だから私は、交通手段がないことで貧困やホームレス状態に陥る人を減らしたいと思っています。

 そして、これは若い人だけに伝えたいことではありません。何か新しいことを始めるのに、遅すぎるということはありません。年齢を重ねれば、それまでに積み重ねてきた経験や知識があります。それを生かして、誰かの役に立つことができるはずです。

 私が皆さんに勧めたいのは、まず周囲をよく見ることです。「もっと良くできることはないか」「誰かの役に立てることはないか」。そう考えてみてください。
 私自身、人生の最初から完璧な計画を持っていたわけではありません。銀行員になるつもりが、車好きだったことをきっかけにタイヤの仕事を始め、そこで日本企業や日本人との出会いがあり、新しい市場を知り、会社を成長させることができました。人生は、思い通りに進まないからこそ面白いのだと思います。大切なのは、自分が好きなことを忘れないこと。そして、目の前にあるものを少しでも良くしようとすることです。それを続けていれば、何歳になっても、新しい道は開けると思います。


日本のホイール文化をアメリカへ
アンディー・安藤 さん

ジョーンズ氏がTire Rackを成長させていった時代、日本からアメリカへホイールや自動車文化を伝え、アメリカ市場の開拓に尽力した日本人がいました。それが、ジョーンズ氏のインタビューにも登場する故アンディー・安藤さん(ホイール販売会社社長)です。
 神奈川県出身の安藤さんは、21歳で駐在員として渡米。その後、ガーデナに会社を設立し、日本から輸入したホイールを全米の卸業者に販売しました。当時、まだ日本製ホイールが広く知られていなかったアメリカで、市場を切り開いた先駆者の一人です。
 Tire Rackの小さな店舗に日本製ホイールを扱ってもらったことも、大きな転機となりました。安藤さんは、日本のホイールや自動車文化に関する情報をジョーンズ氏に伝えながら、アメリカ市場に新しいスタイルを紹介していきました。

 1995年、アナハイム市のホイール・ウェアハウス(アメリカのホイール・タイヤ販売会社)のパーキングロットセールに「ニットータイヤUSA」の水谷友重氏(現名誉会長 常勤顧問)と出会い、フロリダやハワイなど全米をともに回り、まだ今ほど有名でなかった東洋タイヤのブランド確立を陰から支えました。病気で業界を離れた後も、ジョーンズ氏と水谷氏をつなぐなど、二人の成功を自分のことのように喜んでいたといいます。
 仕事を通じて築いた人との縁を、安藤さんは何より大切にしていました。出張先では家族同然の付き合いとなり、訪れた先の人々から自宅に泊まるよう誘われることもあったそうです。
 晩年はパロスバーデス(カリフォルニア州ロサンゼルス郡の沿岸半島地域)の自然保護活動にも力を注ぎ、「自分が行った場所は必ずきれいにして去る」を信条に、亡くなる1カ月前までトレイルの整備を続けました。ホイール業界でも地域でも、最後まで人とのつながりを大切にした人でした。

ジョーンズさんを陰ながら支えたアンディ―・安藤さん。晩年は自然保護活動にも力を注いだ。
(取材協力:アンディー・安藤さんのパートナー Kaori Nomotoさん)

(9/24/2026)

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