【ロサンゼルスで暮らす人々】一つの扉が閉じても、次の扉が開く

LA暮らし

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中澤 一
Hajime Nakazawa


ラスベガス学園 理事長

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■日本語補習校ラスベガス学園 理事長 中澤一さん

 『ラスベガス・ジャパンタイムズ』という情報誌をご存知だろうか。その中に『ハジメ理事長奮闘記』という一際目を引くコラムがある。執筆しているのは日本語補習校ラスベガス学園理事長の中澤一さん。彼の半生に迫った。

 1964年山形県鶴岡市出身。一人っ子で父と母は飲食店を営んでいた。夜は両親が不在のため母方の祖母と過ごした。性格は内向的。スポーツは「からっきしダメ」だったが、小学校時代、友達と遊ぶ〝学校ごっこ〟ではいつも先生役。中澤さんの原型がここにある。

 当時、英語はみんな中1でスタートライン。数学が苦手だった分「これはチャンス」とばかり英語に賭けた。高校は地元の進学校に進み、高1から「米国に行ってみたい」と焦がれるように。留学資料を集め、親に話すと「行ってこい」と背中を押され、高3の夏からユタ州の高校に1年間留学。ホームステイ先は人口300人の村の、そこから更に離れた場所にある敬虔なモルモン教徒の牧場農家。朝ごはんにはシリアルしか出ないと覚悟して行ったが、予想は良い方に裏切られ、朝から温かい食事を出してくれた。日常の至るところで信仰が実践されているのを体験して驚いたが、愛に溢れ、真摯に生きる姿に感銘した。

 1年間の浪人生活を経て上智大に入学。しかし大学1年時、実家の事業が破産。「授業料未納で3日以内に払わないと退学」という通知を受け取り、慌てて叔父に電話で助けを求めたが、そんな大金はない。たまたまその場に居合わせた叔父の友人が「ああ、私の娘と同じクラスだった子じゃないか。困っているだろう。必要な分を用意しよう」と気持ちよくお金を貸してくれた。これが後に、中澤さんが予備校講師、また経営者として生きていく上で「寛大に与える人になる」「1つの扉が閉じても次の扉が開く」という指針になる。導かれる出来事が重なり、大学1年時、クリスチャンの洗礼を受けた。在学中から始めた予備校講師の仕事が軌道に乗り、卒業後もそのまま教え続けた。

 29歳の時、心機一転、パサデナにあるフラー神学大学院に牧師を目指して留学。だが、学び続けるうちに、牧師ではなく、志高い若者を育てることに召命を確信し、帰国後は教育の世界に再び立つことに。東京で大学受験予備校を設立し経営者として奔走する中、経済的困難を抱える生徒には学費免除や大学の入学金・授業料支援、留学費用の援助をしてきた。予てから55歳でリタイアするというプラン通り、2020年8月米国に移住。「未練はない。次の扉が開いた」と語る中澤さんは、2023年ラスベガス学園理事長に就任。「ボランティアベースの補習校だからこそ、与えることの恵みと喜びが満ち溢れるようにと願いながら学校運営をしています」

■中澤さんが設立した予備校『MSAマスタードシードアカデミー』にて教壇に立っている様子。200名を1教室で教えていた
■ラスベガス学園日本語補習校入学式(2024年度) 大隅総領事(サンフランシスコ総領事館)と、Blakely名誉領事をお迎えして

(11/12/2025)

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