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曽根麻未
Mami Sone
在ロサンゼルス日本国総領事夫人
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在ロサンゼルス日本国総領事・曽根健孝氏の夫人、曽根麻未(そね・まみ)さんに話を伺った。
「今思うと、今ではできないような様々な経験をさせてもらったと思っております」三重県伊勢市の古民家のような実家では、年末には大掃除やおせち作りなど、家族総出でお正月の準備をするのが恒例だった。百人一首や花札、トランプ、人生ゲーム、モノポリーなど、家族みんなでゲームを楽しんだ。6人きょうだいの末っ子の麻未さんは「負けそうになるといつも親に助けを求めたので兄や姉に恨まれました」と話してくれた。悪いことをすると蔵に入れられ、泣き叫んで待つ間に眠ってしまったことも。お転婆で鎖骨を骨折したり、外からなかなか帰ってこない娘を案じた両親の決断で、中学から私立女子校に進学。厳格な校則に馴染めず、何度も転校を願い出たものの叶わず。「今ではその学校に進学したことを感謝している」と語る。その学校での学びがきっかけで高校時代にはアジア人が全くいないオハイオ州の小さな町に留学した。決して楽しいことばかりではなかったものの「自分なりに頑張った10ヶ月間」であり、その後の米国への傾倒に繋がった。
進学した大学では、米国文化のゼミを取り、結婚後、夫に帯同して初めて住むことになった地も米国となった。怖いもの知らずで、夫の通う大学の、興味のある授業の先生に「聴講生として座らせてもらえませんか」と直談判し、学生として学んだ。「勉強は充実していましたが、一方で、自分の経済的・社会的基盤がなくなったことを受け止めるのは簡単ではありませんでした」と、社会から切り離された感覚に葛藤があったことも明かしてくれた。
その後、夫と共にワシントンDCやジュネーブに赴任。それぞれの場所で子育て、ボランティア活動等を経験。「自分で考えて自分で決定できる仕事がしたい」と思い、採用試験を受け、1997年から東京都公立中学校教員に。ロサンゼルス赴任直前まで公立中学校で英語の教鞭をとった。「中学のように教科担任制になると生徒の全体像を知ることは難しくなります。ある教科は苦手でも、他ではすごく優秀だったり積極的だったり。様々な場面を共有して、色々な側面が各個人にあることを知ることはとても有意義で、理解に役立ったと感じています。この地にも同じことが言えるとしたら。多様な方々にお目にかかり、もっと理解を深めていきたいです」外交官夫人としての心構えについては「1人より2人で繋がる方がご縁が深まると思っています。ビジネスとしてではなく家族として繋がっていけるよう心がけています」と明かす。アメリカ西海岸の経験がまた、彼女のひとつの点となって繋がっている。


(4/23/2025)
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