続けていればどこかに着地する 夢見たこの場所で私は必ず花を開かせる

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井上史乃
Shino Inoue

モデル・女優

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モデル・女優の井上史乃さん。 インスタグラム @shine_shinooo

芸能の仕事に興味を持つよりもずっと前から、英語に憧れや親しみを抱いていた。そもそも英語の発音が好きで、心地よくて、幼い頃からそれを真似したりしていた。いつかは日本を出てそこに行きたいとも。だから今LAでモデルをやっているのは偶然というよりも、アメリカに憧れを抱いた結果であるといえるだろう。

 井上史乃さんは1994年生まれで大阪府高槻市出身。祖父母と母と妹に囲まれて育った。母は漫画家で、締め切りと戦いながらも器用に家事をこなし美味しいごはんを作る人で、自宅にはいつもアシスタントがいて賑やかだった。史乃さんは自然が大好きで、祖母の実家である三重を毎年訪れては山や川や海へ行き、海では水中に潜ってウニを獲ったりもした。

雑誌の表紙に井上さんが登場。

 中学からは1つ上の幼馴染の誘いでソフトボール部へ入ったが、ソフトボールをしたいという気持ちはさほどなかったと入部してから気付いた。辞めたいと思ったが「一度決めたことは辞めるな」という祖母と母の教えがあったため3年間頑張って続けた。中学卒業後、第一希望の公立高校へは合格が叶わず滑り止めの私立高校へ進んだがこれが「行って大正解」。英語が好きだった史乃さんは国際クラスを志望していたが、自分と似ている人がたくさん集まって実に刺激的だったのだ。高校2年のときカナダに2週間のホームステイへ。現地の高校へ通い「せっかく来てるんだから現地の子と友達になって帰りたい」とカフェテリアで声をかけて友達を作り充実の時間を送った。英語への興味は続き、関西外国語短期大学の英米語学科に進み、さらに英語の力を磨いた。

スタジオでの撮影風景。

 芸能の道へ入るきっかけを作ったのは、誰あろう母だ。「史乃、受かってるで」母が相談なく出した履歴書が芸能事務所の目に留まり、そこから道が開かれていった。所属後「ちょっと痩せようか」と言われ、人生初めてのダイエットに挑戦し自分の体が目に見えて変化していくことにはまった結果、摂食障害になってしまう。それでも地元誌の関西ウォーカーなどでモデル業を続けながら、そのキャリアは順調に続いた。大学卒業後、留学するか芸能界へ進むかで悩んだ結果、後者を選んだのは、ワタナベエンターテイメントカレッジが1年間の学費を免除してくれるといったからだ。卒業イベントではモデルウォークをして英語でスピーチした。自分の武器がすでに英語になっていると自覚があった。

モデル仲間と。

 その後いくつかの事務所を渡り歩き、アメリカに来たのは2021年4月のこと。LAの演技学校LAPACに1年間通ったあと自ら履歴書を送り、この地で有名なモデル事務所に所属。ヘアケアのイメージキャラクターを射止めるなど本人曰く「いい波にのっている」という。「もっと大きいブランドを決めたいですね」史乃さんの夢は大きく広がる。「進んでいればどこかに着地する」という母の教えは彼女のなかで確かに生きている。

(5/23/2023)

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