33歳の技師が挑んだ 巨大プロジェクト |べっぴん塾

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第九十回
33歳の技師が挑んだ
巨大プロジェクト


台湾の大地を潤した八田與一

台湾の旅3日目は、烏山頭ダムを訪れました。こちらは16000km以上の水路を張り巡らせ、15万haを灌漑する能力を持つアジア最大級のダムで、台湾の日本統治時代に建設されました。当時としては規模も予算も破格のプロジェクトだったこのダムを設計・主導したのが、当時33歳の日本人土木技師、八田與一でした。

台湾南部に広がる嘉南平野。現在は台湾を代表する穀倉地帯ですが、ダムが建設されるまでは、雨が降れば洪水、降らなければ干ばつ、更に土には塩分が多く含まれ、作物はほとんど育たない不毛の地でした。農民たちは天気に翻弄され、貧しい暮らしを続けねばなりませんでした。
八田は、「農民たち全体が豊かにならなければ、ダムを造る意味がない」と言って、その規模を妥協することなく、計画を何度も練り直し、1920年にようやく着工に至りました。

工事が始まると、八田は毎日のように現場へ足を運びました。暑さが厳しい日も、雨の日も自ら現場に立ち、作業員と同じ空気を吸いながら工事を見守り続けました。現場にこだわったのは、八田が巨大なダムや水路をつくる前に、まず人を大切にすることが何より重要だと考えていたからです。のちに語り継がれる、「安心して働ける環境なくして良い仕事はできない」という信念もその考えを表しています。実際に八田は、工事関係者が家族と安心して暮らせるように、宿舎街を整備しました。病院や学校、娯楽施設までつくって生活環境を整えていきます。さらに台湾の伝統芸能である歌仔戯や布袋戯の上演などもおこない、現地の文化を大切にしました。

1922年、トンネル内での作業中に地下ガスが漏れ、大きな爆発事故が発生しました。多くの作業員が巻き込まれ、50名以上の方が命を落としました。八田は取る物も取り敢えず、亡くなった作業員の家を一軒ずつ訪ね歩き、土下座して謝罪しました。その際、ご遺族から「八田さん、頭を上げてください。主人はダムの仕事を誇りに思っていました。亡くなった者の為にも工事を必ずやり遂げ、立派なダムを造ってください」と言葉をかけられます。八田はその言葉を胸に、打ちひしがれた心を奮い立たせて自ら事故現場に立ち、復旧作業と計画推進の指揮をとり続けました。(次号に続く)

(9/2/2026)


筆者・森 日和

禮のこと教室 主宰 礼法講師
京都女子大学短期大学部卒業後、旅行会社他にてCEO秘書を務めながら、小笠原流礼法宗家本部関西支部に入門。小笠原総領家三十二世直門 源慎斎山本菱知氏に師事し、師範を取得する。2009年より秘書経験をいかし、マナー講師として活動を開始する。
2022年より、廃棄処分から着物を救う為、着物をアップサイクルし、サーキュラーエコノミー事業(資源活用)・外国への和文化発信にも取り組む。
https://www.iyanokoto.com

 

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