【ロサンゼルスで暮らす人々】芸術は常に人生の中心に 感受性のあるアーティストになるため渡米した

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跡部 海  Kai Henri Atobe


ダンサー

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■ダンサーの跡部海(あとべ・かい)さん。

「ルクセンブルクで生まれたのですが、父はルクセンブル、母はニューヨークで働いていたこともあり、国際的な環境で育ちました。4歳のときから踊ることが本能的に好きでした」ダンサーの跡部海(あとべ・かい)さんはミュージカル『ミス・サイゴン』やダンス作品に出演しながら、ディズニーのテーマパークでパレードのダンサーを務めている。どんな半生を経て、現在に至ったのだろう。お話を伺ってきた。

2002年6月11日、南はフランス、東はドイツ、西と北はベルギーに囲まれた神奈川県ほどの国土であるルクセンブルクで産声をあげた。住んだのは半年間だけだったため景色は覚えていないという。その後、家族とともに東京に戻った。4歳のとき、母が舞台でフラメンコを踊っているのを見て、直感的に「お母さんと踊りたい」と思い、そう口にしたら「まずは基礎を学びなさい」と言われ、バレエ教室に通うように。時を同じくして幼稚園のとき「周りが日本語しか話さないのが怖いと感じた」そうだ。跡部さんによると、洋舞のテクニックの基本はバレエにあるという。谷桃子バレエ団の子役や東京バレエ団のアンサンブルとして舞台を踏み、芸術の世界にどんどん夢中になっていった。

幼稚園から高校3年生まで、都内のインターナショナルスクールに通学。合唱の時間では、ラテン語やイタリア語で歌ったことが非常に楽しかった。おかげで違いを尊重し、偏見を持たず、さまざまな文化や経験に対して好奇心をもって接する経験を積むことができた。バレエはもちろん、常に彼の人生の中心にあった。「踊っていると魂が喜んでいるのがわかるんです」学校では、毎日日本語の授業もあったそうだが、好きではなかったという。

高校卒業後は、芸術の世界をさらに探究するために、ニューヨークの舞台芸術専門学校に進むことを決意。ニューヨークとロサンゼルスにキャンパスを構えるパフォーミングアーツの名門専門学校であるAMDA(The American Musical and Dramatic Academy)に進学した。最初の2年間はニューヨークで過ごし、次の2年間をロサンゼルスで過ごし、学士号を取得した。

「学ぶうちに、演技の楽しさを知り、他者の人生や内面を探究できる役者も視野に入るようになりました。ダンサーとして舞台で踊りながら、役者として活躍できる場所も探しています」ミュージカル『ミス・サイゴン』にアンサンブルとして出演していたときは2ヶ月間フロリダで生活した。オーディションを受け、呼ばれればそこに行く生活は刺激的なのだという。「感受性のあるアーティストになるため渡米しました。ダンスは僕の存在意義です。多様な文化に触れる機会が豊富にあるこの地で、自身の芸術的感性を深めていきたいと思います」

■ミュージカル『ミス・サイゴン』
■「ダンスは僕の存在意義」踊っている時は魂が解き放たれている感覚を感じる。

(8/5/2026)

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