【ロサンゼルスで暮らす人々】自分のつくっているプロダクトは誇り 好きだからここまでやってこられた

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LA暮らし

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澤田暖
Dan Sawada

多国籍テクノロジー企業
ソフトウェアエンジニア

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■ソフトウェアエンジニアの澤田暖さん。休日は家族や友人と近所のBreweryでクラフトビールで乾杯。

「今年で11年目。仕事はきついですが自社製品が好きだからここまで来れました」澤田暖さんは誰もが知るシリコンバレーの会社で働くエンジニア。世界中から卓越した能力が結集するここで働いている。一体どんな半生を送ってきたのか。

 1988年静岡県浜松市出身。ヤマハのエンジニアだった父と高校の英語教師の母のもとに生まれた一人っ子で、幼い頃からコンピュータは身近だった。父の駐在で5歳から11歳までをシリコンバレーで過ごした。「1年目は英語がわからなさすぎて苦労しましたけど、いつの間にか環境に馴染んでそれ以降は楽しい記憶しか残っていません。誕生会やスポーツなど伸び伸びと過ごしました。毎夏の日本への体験入学もウキウキで大好きでした」そんなわけで11歳のときに決まった本帰国はさほど辛くなかった。日本にいい思い出しかなかったからだろう。むしろショックを受けたのは浜松でソフトボール少年団に入ったとき。走り込みやキャッチボールなど体系だった真剣な練習にカルチャーショックを受けた。「米国ではわいわい楽しくスポーツをやっていたのですが、日本のスポーツは笑いはなくてしっかりと真面目に取り組むんですよね。対照的で全く違いました」中学卒業後は静岡県立浜松北高校へ進学。英検に受かるたび両親はご褒美をくれたので懸命に取り組んだ結果、中1で準1級、高校入学直後に1級に合格した。

 2007年慶應義塾大学環境情報学部(SFC)へ。学部3年生のとき「おもしろいことをやっている研究所があるよ」との父の紹介でボストンにあるマサチューセッツ工科大学のMITラボを訪問。ヤマハが当時MITラボのスポンサーだったから縁があったのだ。さらに4年生の時もMITラボを再訪問。澤田さんはそこにどうしようもなく惹かれていたのだろう。メディアラボに行きたいという気持ちに気付かないわけにはいかなかった。

 慶應義塾大学大学院に籍を置いたまま、MITラボにVisiting studentとして留学。1年間を過ごした後「正規の学生にならないか」と教授に誘われ、MIT Media Arts and Sciences学科(Media Lab)修士課程の学生になった。博士課程への道もあったが、研究は常にスポンサー企業との折り合いで決まっていくもの。自分のやりたい方向と違う方向へ進み始めていたため離脱して企業に就職しようと方向転換。幼い頃から好きだったテックカンパニーにエンジニアとして見事就職。奇しくも自分が昔住んだシリコンバレーで再び家族と住むことに。「現在は無線システムのソフトウェアエンジニアをやっています。社内公募で部署を変えたので転職と変わりませんでした。自分のつくったプロダクトが好きです。解けなかった問題が解けて無事に動いている瞬間は最高です」

■20■自身のアメリカでのキャリア原点となったMIT Media Lab
■上河内にて。趣味は旅行やアウトドア、そしてロードバイク。

(9/8/2025)

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