アメリカは私の場所  言語への探究は一生続いていく

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味岡麻由美
Mayumi Ajioka

Hikari Japanese Academy/クラフトンヒルズ大学/
CSUサンバーナーディノ校 応用言語学者

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■応用言語学者の味岡麻由美さん。7月1日付けでネバダ大学ラスベガス校へ。新しい旅が始まる。
Hikari Japanese Academy
ウェブサイトhttps://hikarijapaneseacademy.com/

「幼い頃から米国と英語に憧れていて、小学4年までに高校英語の問題集を終えていました。全部独学です」こう語るのはシエラ・マドレに位置するHikariJapanese AcademyのCOOで、応用言語学者の味岡麻由美さん。彼女の半生に迫った。

 東京都練馬区出身。バンドマンの父と専業主婦の母のもとに生まれ、7つ下に妹がいる。「今考えたら有り難かったです。専業主婦の母には時間がたっぷりあったので十分に向き合ってくれました。英語への強い興味にも気付いていましたね」7歳のある日、英語教材の訪問販売でセールスマンが訪ねてきた。普通なら断るところ「ほしい」とあまりに娘が言うので母は根負けして買ってくれた。その音声教材を何度も聞き、あっという間に覚えてしまった。「歩きながら独り言を言っていました。今でも口ずさめます。スージースージーイエスマミー♪これは子供の言語習得における特徴的な行動です」英語教室を覗いたこともあるが、既に自分の方がレベルが高く、通うことはなかった。彼女の行動力はすごい。小3の時、近所を歩いていた30代の米国人女性に自ら声をかけた。「Could you be my friend?」「あら、あなた英語ができるのね」2人は家を行き来する仲になった。英語への渇望はその後も消えない。中学3年時には高松宮杯全日本中学校英語弁論大会東京代表となり、練馬区の英語関連行事にゲストで招待されるようになった。高校生になると、依頼されれば英語を教えるアルバイトをした。

 従って大学卒業後も教え続けるのは極めて自然な流れだった。東京の「トフルゼミナール」の講師として英語読解を担当し、たちまち人気講師に。フルタイムで働かなかったのは心のどこかで留学を考えていたからだ。ここが自分の場所だと思っていなかった。「まずは日本で」と考え、母校の津田塾大学大学院修士課程に戻り、第一・第二言語における読解能力と語彙習得について研究。「いつかは米国へ」という気持ちは益々募り、2006年UCLAのApplied Linguistic & TESL修士課程に留学。TAとして日本語を教えるようになったことから研究対象言語は英語から日本語へと変更し、南加州の多言語文化環境や日常のダイナミックなやり取りに触れ、研究トピックも読解からコミュニケーションへと移った。博士論文は『継承語話者にとって難しいとされている書き言葉の習得』で、2024年応用言語学博士号を取得。

 Hikari Japanese AcademyではCOOとしてカリキュラム作成や運営に携わる傍ら、大人の生徒に日本語を教える。「子供の日本語継承語話者の研究者は多くいますが、大人の日本語継承語話者の研究は少ないです。研究と実践どちらも大事にして進んでいきます」彼女は来たる7月にネバダ大学ラスベガス校のアシスタントプロフェッサーに就任する。躍進はとまらない。

■『PBIによる日本語教育の実践 ―プロフィエンシーを伸ばす、話す能力をつちかう授業―』(凡人社/2024年11月発行)書籍のリンク:https:// www.bonjinsha.com/goods/ detail?id=14503&pt=3
■インドネシア語学留学中に現地の中学校で日本語を教えた。

(4/18/2025)

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