【ロサンゼルス24日】「やさしく歌って(Killing Me Softly with His Song)」「愛は面影の中に(The First Time Ever I Saw Your Face)」などのヒット曲で1970年代のトップ・レコーディング・アーティストのひとりとなり、その後も長く影響力のあるパフォーマーとして活躍したグラミー賞受賞のシンガー&ピアニスト、ロバータ・フラックさんが24日に死去した。88歳。広報担当が、家族に囲まれ自宅で息を引き取ったと発表した。
フラックさんは2022年、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を患い、歌うことができなくなったと発表していた。
フラックさんは1937年、ノースカロライナ州で生まれ、バージニア州で育った。ゴスペルに傾倒し幼少時からピアノの才能を発揮し、ワシントンのハワード大学で15歳の時に奨学金を得て音楽を学んだ。
30代前半まではほとんど知られていなかったが、クリント・イーストウッド監督の1971年の映画『恐怖のメロディ(Play Misty for Me)』で、バラード「The First Time I Ever Saw Your Face」が使用され、一夜にしてスターとなった。フラックさんの優美なソプラノが柔らかなストリングスとピアノの上に浮かび上がる、しっとりとした賛美歌のようなこのバラードは、1972年のビルボード・ポップ・チャートのトップを飾り、グラミー賞の年間最優秀レコード賞を受賞した。
1973年、フラックさんは「Killing Me Softly with His Song」のヒットで2つの偉業を達成し、グラミー賞最優秀レコード賞を連続受賞した最初のアーティストとなった。生涯を通じグラミー賞を5回受賞し、その他8回ノミネートされ、2020年には生涯功労賞が贈られ、ジョン・レジェンドさんやアリアナ・グランデさんらが賞賛した。
長年にわたり暮らしたマンハッタンのダコタ・アパートメント・ビルでは、ジョン・レノンさんとオノ・ヨーコさんと同じフロアに住んでいた。親しい友人となり、フラックさんのビートルズ・カヴァー・アルバム『Let It Be Roberta』にライナーノーツを提供している。また、ニューヨークを拠点とし、主に6歳から14歳までの生徒が通う「ロバータ・フラック・スクール・オブ・ミュージック」にも多大な時間を割き貢献した。
公民権運動の活動家としても知られ、ジェシー・ジャクソン牧師やアンジェラ・デイヴィスさんとも親しかった。メジャーリーグ初の黒人選手ジャッキー・ロビンソンさんの葬儀で歌ったことでも注目を集めた。