
白いハットを片手にダンスパフォーマンスをみせる中村恭子さん。
(LALALA 2015年5月29日号掲載の記事より)
健康補助食品「玄米酵素」を提供する(株)玄米酵素アメリカの代理店業の経営のほか、「一生青春、一生感動」をスローガンに掲げ、健康セミナーやダンスクラスなどを開催する多目的ホール「GENKI CLUB」をロサンゼルスで運営するなど、LA日系コミュニティの活性に尽力した中村恭子さんが2024年6月17日に亡くなりました。88歳でした。
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1959年にラスベガスのニューフロンティアホテルで撮影したもの。
一番右が中村さん。(LALALA 2007年6月8日号掲載の記事より)
日本で日劇のダンサーとして活躍していた1950年代、中村さんはオーディションで選ばれ、日本人ダンサー50人と共に女優シャーリー・マクレーン夫妻プロデュースのラスベガスの舞台『ホリデーインジャパン』に1年契約で出演。それから60年以上が経った近年もLAで行われる春の歌祭りや、ニセイウイーク祭のステージで歌とダンスパフォーマンスを披露していました。

生涯、健康とエンターテイメントへの思い入れは薄れることはありませんでした。
いつも歌や踊りが大好きな多くの友達にも囲まれた華やかな人生でもありました。
mimi さん(シンガー)
恭子さんをご存じの方は「あの元気な方!100歳まで生きるかたでしょ!」そんな印象が強いことでしょう。私が恭子さんと出会ったのは、「歌」がきっかけでした。2010年「米国カラオケ紅白歌合戦で英語の歌が歌いたいので教えてほしい」という希望で私の生徒になり14年が経ちます。知り合って話してみると、同じ東京出身で北区田端に住んでいたなど色々な共通点がありました。二人とも踊り好きで芸能の世界に入ったことも同じでした。
彼女は18歳の頃から日本でプロダンサーとして活躍。その後の素晴らしい活躍は前述のとおり。そんな実績が踊りはもちろん歌にも発揮されたのでしょう。どんな曲をも自分のものにしてしまう才能がありました。
グラミー賞を一緒に見に行ったこともありました。その時「お腹が空くから!」と言って、恭子さんは手作りおにぎりを持参してグラミーを見ながら食べたこともあります。肩ひじ張らない、愛嬌のあるユーモラスな性格でした。
2020年2月に開催した「中村恭子 ハイ・ゲンキ30周年ライブ」を最後に日本に帰国。恭子さんの夢は、子供たちのミュージカルを作ることでした。いつでも前向きでワクワクした気持ちを持ち続けている大先輩の中村恭子さんと出会えたことに感謝しています。
ありがとう、中村恭子さん。お疲れさまでした。
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