アメリカ生活がワクワクするエンタメを届けたい。ここまでこれたのは皆さんのおかげ

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森辰雄
Tatsuo Mori

Weekly LALALA, President & CEO

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Weekly LALALA, President & CEO, 森辰雄氏。

 8月でWeekly LALALAは創業20周年を迎える。代表取締役社長を務めるのは森辰雄さんだ。「創業時、LAには今よりも沢山の日系情報誌が溢れていた。これ以上要らない、絶対に失敗すると言われたこともあります。でもずっと変わらなかった想いがある。アメリカ生活がワクワクするようなエンタメをお届けしたい。そこはぶれずにやってきました」

 1971年埼玉県川越市出身。父は会社員、母は専業主婦の家庭で、3人兄弟の長男として育った。「とにかくやんちゃ」な少年はいつも輪の中心にいた。地元の小中学校を卒業後、制服のない自由な校風の所沢高校に進学。運動会や文化祭等の学校行事が盛んで、それに没頭する3年間を送る。高3の文化祭では、バンドとして出演するよりプロデューサーとして舞台をまわす側に夢中になった。同級生の父が偶然コカコーラに勤めており、頼み込んでステージを作るためにコカコーラの赤いケース3000個を持ってきてもらったことも。アイデアを捻り出して問題を解決し、全体を進めていく達成感をこのとき既に学んでいた。「大型トラック2台分ですよ。人と人とをつなげて何か大きなことをやるのが心底好きです」

高校の体育祭。行事に夢中になって取り組んだことが森氏の原点といえる。
トラック2台分のコカコーラケース!実に壮観である。

 所沢高校と同じ自由を感じた早稲田大学に憧れ、一浪ののち早大の全学部を受験。しかし高校の3年間を勉強ではなく行事に捧げた代償は大きかったのか、結果は全滅。二浪したくなかった森さんは、たまたま時期ずれで受験可能だった日本大学国際関係学部に合格し進学した。 1年目のキャンパスは静岡の三島。電車で都内まで通い、TV局のアルバイトに明け暮れた。都営住宅の家賃延滞者の夜逃げ後の清掃バイトをしたこともある。長期休み、友人と全米をアムトラックで一周した際、LAに魅せられたことが人生の転機になった。

オートバイレーサーに憧れた時代もあった。高校生の頃のことである。

 卒業後はTV局への就職を考えたが「それだけで人生が埋め尽くされる気がして」やめた。憧れのLAへ留学したいと思ったが、何をおいても資金が必要。佐川急便湘南支店にトラック運転手として就職した。「すごく給料がよかったんです。初月で50万、頑張って3ヶ月目には月給70万稼ぎました」営業で3日間前年割れしようものなら、裸に佐川のエプロンをつけて荷物の積み込みをしなければならない男社会で2年間働き、900万を貯めた。

佐川急便でトラック運転手をしていた時代。「心身ともに鍛えられました。忘れられない貴重な経験です」

ちょうどその時、LAの友人が『BRIDGE USA』という日系誌で働かないかと声をかけてくれ、渡りに船で1997年LAへ。4年半、営業かつイベントプロデューサーとして腕を磨いたのち「自分でメディアを持ちたい」と思い、2003年8月にWeekly LALALAを創業。スタートから3ヶ月でクライアント100社を集めるという目標を達成するも、最初の2年間は自分に給料が払えずフードスタンプで暮らした。「この20年、家族や社員、クライアントに支えられてきました。感謝しています」。

2003年8月創業。「若かったです。がむしゃらでした」
フルマラソンのタイムは4時間をきる猛者。毎年LA マラソンに参加しておりLAマラソンだけで20回以上完走。ここ数年は長女と一緒に走るのが通例になっている。
妻と4人の娘たちと愛犬と。
LAの社会人が集う野球チーム「ヤンチャーズ」を設立。野球が大好きで3月のWBCはマイアミまで準決勝、決勝戦を応援しにいきました。

文・取材/石松淑子 Yoshiko Ishimatsu
ライター/コラムニスト/日本語教師。
1981年福岡県糸島市出身。中央大学卒業後、(株)TBSラジオに勤務。2017年に退社し渡米。LA在住。本誌「WeeklyLALALA」、オレゴン州の日系新聞や福岡のローカル誌「けんけんぱ」などで取材記事や連載を担当。アメリカおよびLAの文化、移民、教育などが専門。好きな言葉は「joy of trying」趣味はテニス。
ブログ: https://note.com/aizonoyoshi-ko/m/mc0c0a61d37d9

(5/11/2023)

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