交通弱者のために役立ちたい。一番いいのは事故がないこと

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C. さくら デイビッドソン
Davidson Bike Law LLP

歩行者・自転車事故専門弁護士

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■自転車を愛するさくらさん。

もともとは弁護士ではなく芸術家になろうと思っていた。1988年に生まれ、宇都宮を拠点としながら育ち、夏になると祖父母のいるテキサスを訪れた。宇都宮の小学校を卒業するものとばかり思っていたが、6年生の途中で家族と共に突然米国に引っ越すことになった。「みんなと一緒に卒業したかったのでつらかった。その頃、漫画家になるのが夢だったので漫画を描く道具はすべて持っていきました」

 引っ越した先はオースティン。しかし1年後には再び州内で引越し、次に根をおろしたのは500人の小さな村だった。中学の同級生はたったの8人。さくらさんを支えたのは日本の漫画やアイドルだった。その頃、母の友達が東京藝術大学のパンフレットを持って村を訪ねて来てくれたことが転換点となる。その世界に一気に惹かれ「大学は東京藝大に行く」と心に決めた。絵を描くことが昔から好きだったさくらさんは油絵塾に通い、絵を描き続けた。絵を描いていると幸せだった。

■LAの自宅で描いた油絵。

 高校を卒業後、宣言通り日本に一人で向かった。米国の高校は5月卒業のため、日本の4月入学までに時間がある。宇都宮の祖母の家から約1年間、東京の芸術予備校に通って絵を描き続けた。その傍ら念の為に帰国子女枠での他の受験にも備え、独学で勉強した。「小論文の過去問を解きながらどれだけの知識があるか試されているとわかったので、英語によって錆びついていた日本語をどんどん取り戻す作業をしていきました」

 結果は東京藝大不合格。そして東大文三に合格した。「芸大では一次試験のデッサンで落ちました。自分の力で思う存分戦ったのですっきりしています。東大で個人的に絵を描きながら美術史を学ぼうと決めました」大学時代は個展を開いて積極的に活動。就活は日本でしていたが、大手企業の面接が進むうち男尊女卑の文化が垣間見え、疑問を感じるようになっていた。その頃、東日本大震災が発生。すべての機能が止まり、街が混乱に支配されるなか「日本を出よう」と思った。父親がその頃弁護士になったことも影響して、米国で法律を学び、弁護士になろうと決意する。さくらさんは米国の法科大学院入学のために宇都宮で英語教師のアルバイトをしながら勉強して合格を勝ち取った。2013年3月再び渡米。2015年加州弁護士資格取得。

 仕事をするなかで、どの案件よりも交通事故、とりわけ歩行者や自転車に乗る交通弱者の案件に対して己の熱の入れようが高いことに気が付いていく。さくらさんは自身もロードバイクに乗るため、車社会の米国生活で交通弱者に寄り添う気持ちが強いのだ。自然と案件が歩行者と自転車事故になっていき、今に至る。「失ったものは取り戻せない。一番いいのは事故がないことです」。

■ Mammoth で家族とグラベルライド。
■サイクリングクラブ「Kingand Queens Rule Together 」メンバーと。

(4/25/2023)

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