【ロサンゼルスで暮らす人々】太鼓の音色は私にインスピレーションを与え続ける ロサンゼルスから始まった音楽の旅

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Kenny Endo
ケニー・エンドウ


太鼓アーティスト

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■世界的和太鼓奏者のKenny Endoさん。和太鼓に日系二世としてのルーツを見出し、様々なジャンルの音楽家たちと共演してきた。

世界的な和太鼓奏者であるケニー・エンドウさんは去年50周年を迎えた。73歳とはとても思えない漲る力で50周年記念コンサートを催し、全米各地をまわり、ファンを熱狂させた。彼は外国人として初めて日本の邦楽囃子の名取(芸名:望月太二郎)を授与されたことでも知られている。「昔からドラムの音も振動も好きでした」と語る彼は、どんな半生を経て現在地に辿り着いたのだろう。

1953年LA出身。父は一世で、母はバンクーバー生まれの二世。5人きょうだいの末っ子。ケニーさんが7歳の時、父が心臓発作で急逝した。「父が生きている時は家庭は日本語、父が亡くなってからは家庭は英語になりましたね」その後は母が縫製技術者として家計を支えた。小学生の時はちょうどビートルズが流行っていた頃で、リンゴ・スターのドラムをよく真似した。ドラムスティックはなかったから木の棒を2本使って段ボール箱を叩いて。小4からは学校のバンドに入り、中学校でもバンド・オーケストラに入って練習に明け暮れた。彼の中で絶えずリズムが鳴っていたのだろうと思う。

UCサンタクルーズで2年間社会科学を学んだ後、1年間働いて、興味のあったアリゾナ州のアメリカンインディアンのキャンプ地に行き、働いた。その時「自分の文化を知っているか」と言われ、ドキッとした。その後UCLAに入り、政治科学を専攻し、副専攻で音楽を学んだ。サンタクルーズにいた際、たまたま太鼓道場を見に行ったことがあったが、太鼓の迫力にびっくりし、「これがやりたい」と直感で思ったことを憶えていた。その思い出とキャンプ地で言われた言葉が重なり、サンフランシスコ(以下SF)の太鼓道場に週2回通い、練習する生活が始まる。そこで出会った田中誠一先生が彼の生涯の師となった。和太鼓の練習がない時はピアノバーでドラムを叩き、生計を立てた。「1980年まで4年間SFにいましたが、鍛えられました」

1980年5月に27歳で日本へ。「本格的に和太鼓を学びたかったのです」東京初のプロ奏者による創作和太鼓集団であった助六太鼓に所属。1年後「まだまだ学び足りない」と思い、日本に残ることに。1982年大江戸助六太鼓から「プロになりませんか」と誘われ、プロに。初期メンバーは4人で、週に4〜5回演奏に行く生活が始まる。そのうちに結婚し、子供にも恵まれた。

1990年、日本を離れてハワイへ。ハワイ大学マノア校で音楽学を専攻し、数々の栄誉を受けた。ケニーさんは妻と『Taiko Center of the Pacific』という太鼓スクールをこの地に設立。「リタイアではなく、これを若い人に引き継ごうと思っているんです。音楽はエンタメだけじゃなく人を癒すヒーリングパワーがあります。今後も太鼓でv世界を癒していきたい」

■「異なる人種や文化を結びつける音楽を創ることを私は目指して演奏しています」
■ハワイ州より文化・芸術へ寄与した者に贈られる栄誉賞を授与されている。

(6/4/2026)

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