【ロサンゼルスで暮らす人々】社会とつながる仕事はおもしろい 手がけた製品が世界中に届く幸せ

LA暮らし

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濱本祐子 Yuko Hamamoto
AKM Semiconductor, Inc. Sr. Applications Engineer

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■半導体の世界で働くエンジニア 濱本祐子さん

 「大学院で研究がおもしろいと感じませんでした。直接的に社会につながる仕事がしたいと強く思って今に至ります」半導体集積回路の製造・販売をおこなう旭化成エレクトロニクス株式会社。濱本祐子さんは新卒後ここに入社し、その後サンノゼに駐在となった。現在は、その子会社にあたるAKM Semiconductr, Inc.でSr.Applications Engineerとして新規市場開拓や重要顧客サポートを担っている。新卒以来ずっと旭化成と共に生きてきた。彼女は一体どんな半生を送ってきたのだろう。
 1976年福岡出身。両親は共に大学の理系研究者だ。その影響もあってか、幼い頃から国語よりも数学、社会よりも理科が好きだし得意だった。記憶に残っているテレビ番組はNHK『脅威の小宇宙 人体』で、かじり付くように見たのを覚えている。高校卒業後、地元を離れて東京大学に進学。「東大には進振りという制度があって成績順に学科を選びます。理学部はそもそも門が狭い。工学部はたくさんの学生を受け入れるので、工学部に行きました」
 大学院での専攻は応用物理学。研究を一生の道にするべきか迷いを抱いていた大学院2年の頃、静岡県富士市にある旭化成の半導体の工場見学をする機会に恵まれた。「〝今僕らが作っているこの製品が来年の携帯電話にのるよ〟と言われたとき、社会に影響を与えている仕事に感動を覚えたんです」若いエンジニアがいきいきと働く姿が印象的だった。この見学が決め手となり旭化成に入社。彼女は一貫してホール素子という磁気センサーを扱っている。工場での開発に始まり、顧客サポート、マーケティング、プロダクトマネージャー、プロジェクトマネージャーを歴任し、何度もアメリカに出張した。
 2015年、満を辞して社命がくだる。サンノゼへの駐在が決まり、濱本さんはTechnical marketing managerとして赴任することになったのだ。2年~5年の約束だったが、人生はいつも予測がつかない。2020年の帰任の時期にコロナ禍と見事に重なり、帰任が延期になっているその間、なんと彼女はこの地で妊娠・出産を経験した。子どもと夫と生活する中で、自然と今後もサンノゼに残りたいと思うようになった。
 会社に相談したところ、日本法人を一旦退職し、ブランチのローカル社員として雇ってくれることに。優秀な彼女を、会社は手放したくなかったのだろう。「幸運だったと思います。会社がローカル社員となる私に課したことは、日本の視点ではなく現地の視点をもって仕事に取り組むこと。今もそれを心がけています」サンノゼを拠点として、南北アメリカ・オーストラリア・ニュージーランドを見ながら、半導体の販路を広げている。

■去年、オフィスのオープニングセレモニーで
■サンフランシスコの桜祭りに出るお神輿の前で

(7/29/2025)

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