【ロサンゼルスで暮らす人々】導かれるようにコンピューターグラフィックの世界へ 今後も日米双方で活躍を重ねていきたい

シェアする

広告

LA暮らし

.

中村創 Hajime Nakamura

CGアーティスト

.


.

■CGアーティストの中村創さん。『ボスベイビー』(2017)や『野生の鳥のロズ』(2024)など手がけた作品は多数。

「昔から絵は好きでした。社会人になって以降、有難いことに仕事に困らずここまで来れました。人に恵まれてる方だと思います」コンピューターグラフィックス(以下CG)アーティストとして日米で活躍する中村創さんはその実力で色々な国を渡り歩いてきた。彼はどんな半生を送ってきたのだろう。
 1977年東京都出身。奇しくもこの年は彼に影響を与えた『スターウォーズ』が生誕した年でもある。会社員の父と人形作家の母の間に生まれた彼の心に影響を与えたのは、実は父方の祖父。学校の先生をしながら水彩画家でもあった。「生活の中に絵を描くためだけの場所があるというのは稀ですよね」母といい祖父といい、彼の周りにアーティストは多かったものの芸術それだけで生計を立てている者はいなかったため、幼心に「プロになるのは至難の業だ」という感覚が染み込んでいた。ちなみに大好きだった映画は1993年の『ジュラシック・パーク』。「最初の恐竜登場シーンは本当にかっこよかった。CG時代の始まり。今でも思い出せます」
 時は流れ、工業大学に進学し、理論よりモノづくりを欲して電気工学を専攻した。美大という選択肢は、頭にものぼらなかったという。大学では多くのサークルに入部したが、なかでも美術部で出会った仲間は相性がよいと感じた。中村さんは波長を感じる優れたアンテナを持っているようだ。一方で、本業である学問のほうには今ひとつ興味を持てなかった。「自分の頭でついていけないと思いました」その対比性がその後の彼の人生を決めたといえるかもしれない。学生時代から出入りしていたCGの会社に入社したのである。作品に恵まれ、ゲームやテレビコマーシャル、VFX(視覚効果)などをどんどん手がけ、社会人人生は順調そのものだった。しかし自由と挑戦を求めて、結局1年で辞めることに。フリーランス人生の始まりである。
 「いつかは海外で働く」という夢を持っていた中村さんは、一緒に仕事をした映画監督のつてを頼って、オーストラリアに渡った。シドニーの小さな会社で、社員は10人程度。その小ささが中村さんの性に合っていた。「小さいコミュニティーなので土日のBBQに呼んでくれるんです。おかげで英語が格段に上達しました」2012年には、どのCGアーティストも夢に見る「ハリウッド」を有する街LAへ。大手映画会社ドリームワークスに転職し、ライティング・CGアーティストとして活躍した。現在はフリーランスとして、ドリームワークスの仕事も請け負いつつ、また日本の仕事も請け負う引っ張りだこの日々。直近では大阪万博のCG映像を担当した。「なんでもAIが作れる時代に突入しました。僕はいいものを作ってAIに勝ちます」

■大阪で講演会。日米のCG業界を知っているからこそ呼ばれることも多い。
■ドリームワークスで最愛の娘と。

(7/17/2025)

.

.

.

.

記事をシェアする

ランキング

よく読まれています

  1. オジー・オズボーンさんを追悼し、ユニバーサル・スタジオに特設お化け屋敷 「ハロウィン・ホラー・ナイト」で45年のキャリアを網羅(7/30)
  2. グリーンカード申請に変化 日本人が確認すべき8月のポイント(8/3)
  3. アメリカ大学卒業後の就職に影響?トランプ政権、留学生OPTに10万ドル案(7/31)
  4. カリフォルニア州の最低賃金、2027年1月1日から17.40ドルに引き上げへ 全米で最高水準、連邦は2009年以来7.25ドル(8/3)
  5. 米国で“毎日マリファナ”が“毎日飲酒”を上回る ついに逆転の時代へ(8/3)
ランキング一覧はこちら >

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。