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中村創 Hajime Nakamura
CGアーティスト
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「昔から絵は好きでした。社会人になって以降、有難いことに仕事に困らずここまで来れました。人に恵まれてる方だと思います」コンピューターグラフィックス(以下CG)アーティストとして日米で活躍する中村創さんはその実力で色々な国を渡り歩いてきた。彼はどんな半生を送ってきたのだろう。
1977年東京都出身。奇しくもこの年は彼に影響を与えた『スターウォーズ』が生誕した年でもある。会社員の父と人形作家の母の間に生まれた彼の心に影響を与えたのは、実は父方の祖父。学校の先生をしながら水彩画家でもあった。「生活の中に絵を描くためだけの場所があるというのは稀ですよね」母といい祖父といい、彼の周りにアーティストは多かったものの芸術それだけで生計を立てている者はいなかったため、幼心に「プロになるのは至難の業だ」という感覚が染み込んでいた。ちなみに大好きだった映画は1993年の『ジュラシック・パーク』。「最初の恐竜登場シーンは本当にかっこよかった。CG時代の始まり。今でも思い出せます」
時は流れ、工業大学に進学し、理論よりモノづくりを欲して電気工学を専攻した。美大という選択肢は、頭にものぼらなかったという。大学では多くのサークルに入部したが、なかでも美術部で出会った仲間は相性がよいと感じた。中村さんは波長を感じる優れたアンテナを持っているようだ。一方で、本業である学問のほうには今ひとつ興味を持てなかった。「自分の頭でついていけないと思いました」その対比性がその後の彼の人生を決めたといえるかもしれない。学生時代から出入りしていたCGの会社に入社したのである。作品に恵まれ、ゲームやテレビコマーシャル、VFX(視覚効果)などをどんどん手がけ、社会人人生は順調そのものだった。しかし自由と挑戦を求めて、結局1年で辞めることに。フリーランス人生の始まりである。
「いつかは海外で働く」という夢を持っていた中村さんは、一緒に仕事をした映画監督のつてを頼って、オーストラリアに渡った。シドニーの小さな会社で、社員は10人程度。その小ささが中村さんの性に合っていた。「小さいコミュニティーなので土日のBBQに呼んでくれるんです。おかげで英語が格段に上達しました」2012年には、どのCGアーティストも夢に見る「ハリウッド」を有する街LAへ。大手映画会社ドリームワークスに転職し、ライティング・CGアーティストとして活躍した。現在はフリーランスとして、ドリームワークスの仕事も請け負いつつ、また日本の仕事も請け負う引っ張りだこの日々。直近では大阪万博のCG映像を担当した。「なんでもAIが作れる時代に突入しました。僕はいいものを作ってAIに勝ちます」


(7/17/2025)
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