江戸時代夜遊びは出来たのか

 私は街をブラブラするのが好きだ。仕事が終わった後、家に真っ直ぐ帰る事は少なく、寄り道をする。とは言ってもお酒は飲めないので、盛り場には付き合いの時以外行くことはない。顔見知りの洋服屋さんに立ち寄る、そんな感じなのだ。

 休日、一日中家でパソコンに向かって仕事をしていると、夜8時になる頃、無性に街に出かけたくなる。ほとんどの洋服屋さんは8時閉店なので、そんな時はドン・キホーテに行くのがルーティンだ。素直に家でリラックスしていれば良いのに、じっとして居られない。我ながら困った性分だ。とは言っても、私と同じ様なフラフラ人間は沢山いるかも。

 江戸時代に話を移そう。もし長屋暮らしの町人だったらどうなっていたのか。神田・深川辺りで長屋暮らしをする大工の夜は早い。夏でも午後7時になると外は暗くなる。当然電気がある訳もなく、ロウソクもない。油で行灯に火を灯すとしても、油が高価な時代、いつまでもつけていることは出来ない。おそらく午後9時頃には寝ていたのでは。出歩くとしたら夜泣き蕎麦の屋台の笛に誘われて夜食をとるくらいか。お金があれば花街に行く作戦もある。しかし大工の稼ぎだと500文(現在の金額にして1万円)の日当、月に20日働くとして20万円相当の収入で家賃が2万円程と言われていた。しかも当時の江戸の職人さんは「宵越しの銭は持たない」なんて言葉があるくらいなので、蓄えはあまり無かったのでは。住宅事情と言えば、長屋は6帖一間に一家4人が住んでいる感じ。部屋にはクローゼットも無い。高価な着物を新調する習慣も無く、庶民は慎ましく生きていた。

 そんな生活の中、妻や子供達が寝ている時、自分だけフラフラ出かけるのは至難の業だ。更に厄介なのは、今の建物と違い、薄い壁で仕切られた長屋は、小さな物音でも近所に聞こえてしまうため、噂好きな近所の奥さんに気づかれ、遊び人扱いされてしまう。江戸の町には防犯のための木戸と呼ばれる門があり、夜間閉まっている戸を開けて抜け出すことは容易ではないはず。首尾よく抜け出したとしても、役人に職務質問され長屋に返される可能性もある。それでもしぶとく仲間を連れてどこかに出掛けた、私のようなフラフラ男はいたはず。

 しかし、江戸時代、本当の賢者は皆が寝静まった時間、月明りの下、俳句や川柳を読んだり、絵を描いたり、習字を嗜むなどしていた。そう考えると私も夜な夜なドン・キホーテで彷徨っている場合ではない。では明日からどうすればいいのか。取り敢えずドンキで買ったダンベルで身体でも鍛えますか。

 

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■テリー伊藤
演出家。1949年、東京都出身。数々のヒット番組やCMなどを手掛け、現在はテレビやラジオの出演、執筆業などマルチに活躍中。

 

 

 

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