世の中に初めて即席ラーメンが登場したのが1958(昭和33)年、読売ジャイアンツに長嶋茂雄がデビューした年、私が9歳小学校3年生の時である。日清食品が「チキンラーメン」を世界で初めて開発、発売した。一食35円。町の中華屋さんのラーメンが50円位だったはずなのでたいして変わらない価格だが、何と言っても自宅でラーメンが簡単に作れるという革新的な商品は、全国で品不足になる程の大人気となった。私の実家は玉子焼き屋なので卵2個入れて食べたものだ。
食べながらこんな事を考えていた。「これで全国のラーメン屋さんはつぶれるな。自宅でラーメンが食べれる!革命ではないか!」自宅の3軒隣りに〝幸軒〟というお店があるが、子供ながらに心配になった思い出がある。
1971(昭和46年)9月18日に発売された「カップヌードル」はお湯を注いで3分間待てばラーメンが食べられる。その知名度を一気に全国的に高めたのは1972年のあさま山荘事件。立てこもる連合赤軍との死闘が何日も続き、寒さの中で非常食として機動隊員が食べていた姿が生放送で度々放送され、その後人気爆発に。
魚河岸の朝は早い。冬の早朝の寒さは厳しい。寒い思いをしてラーメン屋まで行く必要はなくなり、熱いお湯があれば3分でラーメンが食べられる。当時大学生だった私は、今度こそ築地〝幸軒〟はつぶれると確信した。
その後バブル時代がおとずれ、お洒落してイタリア料理店でピザを食べるのがトレンドとなり、俗に言う「イタ飯行こうよ」が合言葉に。更に時が経ち、ケータリングピザ店が巷にドンドン出来、家の郵便ポストにはメニューが沢山入ってくる。スーパーマーケットの冷凍食品コーナーには各種ピザが鎮座。オシャレだったピザが冷凍肉まんと同じケースの中に。これらの状況を考えてもピザ屋の将来は厳しいのではと考えざるを得ない。私の青春時代の思い出を一身に背負っているピザの名店〝銀座イタリー亭〟の存続も風前の灯火ではないか。
しかし、築地〝幸軒〟は今や築地一の人気店、連日長蛇の列。イタリー亭のピザはケータリングピザでは出せない昭和の味と香りとコクが絶品で連日大盛況なのだ。世の中便利になっても本物の味は消えないと教えてくれる。それにしても、私の時代を読む力はあまりにも乏しい。
そう言えばインスタントコーヒーが出始めの頃、全国の喫茶店は無くなってしまうのではと心配していたが、全くそんなことはなく毎日スターバックスのお世話になっている始末。私の予知能力はどうなっているのだ。
■テリー伊藤
演出家。1949年、東京都出身。数々のヒット番組やCMなどを手掛け、現在はテレビやラジオの出演、執筆業などマルチに活躍中。
