戦争ほど嫌なものはありません

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米谷ふみ子
Foumiko Kometani

芥川賞作家・画家

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■芥川賞作家で画家の米谷ふみ子さん。55歳のとき『過越しの祭』で芥川賞を受賞した。

画家で作家の米谷ふみ子さんは1974年にNYから家族と共にLAに移ってきた。パシフィック・パリセーズに住まいを構えて約50年が経った今年の1月、すべてが一変してしまう。「描きかけの絵、膨大な蔵書、思い出の品。1月に起きた山火事でその全てを失いました。孫娘が2日前に来て念のため避難しようというので、着の身着のまま何も持たず、家をあとにしたんです。まさか焼けてしまうなんて。焼けた跡は見に行ってません。見たくもない」引っ越したばかりの老人ホームでこう語った。彼女はどんな人生を送ってきたのだろう。

 1930年大阪市出身。織物機械を作る父と専業主婦の母のもとに生まれた。「女学校卒業後、本当なら大学で絵を勉強したかったのですが、父に女性で絵描きはダメだと言われ、大阪女子大の国文科に進学しました」諦めきれず、働きながら個人でフランス帰りの先生のもとに絵を習いに通い、実力を磨いた。1957年から二科展に3回続けて入選。そして関西女流美術賞を受賞した。「絵の世界は男の世界。日本にいても埒があかない」と考えた米谷さんは好きなアメリカ人画家の画集に載っていた住所に手紙を書いた。「アメリカで絵を勉強したい」そうすると画家の妻から返事があり、芸術家村のことを教えてもらった。1960年、奨学金を得て渡米。

 運命とはわからないもので、ニューハンプシャーの芸術家村で出会った作家ジョシュ・グリーンフェルド氏と結婚。彼の猫を預かったことがきっかけだった。長男と次男に恵まれたが、次男ノアは脳障害を負い、2歳以降だんだん発語が減っていき、殆ど喋らなくなった。原因はわからない。子供の世話で絵を描く時間はなくなったが、かわりに文章を書くようになった。書かずにはいられなかった。彼女の奥底には芸術家の魂が宿り続けていたのだ。「大学時代に源氏物語を勉強しました。これが文学の基礎になりました」

 55歳のとき『過越しの祭』で芥川賞を受賞。新しいキャリアが開いた瞬間だった。米谷さんの作品には国際結婚や言語の壁、異文化との向き合い、障害児と共に生きることが通底して書かれてある。『遠来の客』や『タンブルウィード』、『ファミリー・ビジネス』など。また翻訳も手がけた。夫ジョシュ氏の『わが子ノア 自閉症児を育てた父の手記』『ノアの場所 自閉症児に安住の地はあるか』『依頼人ノア 思春期を迎えた自閉症児』。どれだけの読者が彼女の作品に支えられてきただろうか。米谷さんの作品はリトルトーキョー図書館に多く置いてある。

 彼女は現在94歳。たくさんのものを見つめてきた目が語る。「戦争反対の宗教はないですよね。あればいいのにね。宗教は戦争のもとです。戦争ほど嫌なものはありません」

■全員集合の家族写真。(左から)3番目が米谷ふみ子さん、4番目が亡くなったご主人、5番目が次男ノアさん、(一番右)長男カールさん。
■知人が日本から送ってくれた米谷ふみ子さんの本。残りはすべて焼けてしまった。

(5/8/2025)

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