ダチョウ俱楽部上島竜兵(61)が5月11日未明自宅で亡くなった。私は当初脳梗塞など突発的な病気で倒れたのかと思っていたが、その後の報道で自ら命を絶ったと知った。芸能界で一番そんな死に方が似合わない人なのに、本当に驚いた。
私が上島さんに最後に会ったのは1年半くらい前。テレビ局の控室でいつものように冗談を言い合い、別れ際に私はこんな事を言った。「俺、上島さんが羨ましいしいよ。若手芸人から愛されて、幾つになっても子供達からも大人気!時には芸風が面白くなくてもそこも愛される。年をとって熱湯風呂に入れなくなったって、ちょうどいい湯加減に入ってもOK。役者としてもお声が掛かって、最高なポジションですね!これからも芸能生活安泰じゃないですか!」
私の言葉に上島さん少し照れた顔で「また『お笑いウルトラクイズ』お願いします。過酷なクイズも。着いていきます!」と答えてくれた。
そうなんです、私と彼の出会いは『お笑いウルトラクイズ』(1989年から1996年にかけて日本テレビ系列で放送)当時まだメジャーでは無かったダチョウ俱楽部には一番過酷な企画をやってもらうことになった。ロケット台から飛出して海に飛び込んでもらったり、爆弾の入ったリュックサックを背負ってもらい、クイズに答えられないと爆弾が爆発する仕掛の企画もあった。
勿論一歩間違えると大けがに。新人上島さんにとっては命がけの事でした。当然の事だが番組的には爆発しないと面白くなく、あまり残酷に見えると視聴者が引いてしまうので、あくまでも「お笑い」の範疇でないといけなかったが、その絶妙さを作るのが上島さん最高でした!その後流行語にもなった「聞いてないよ!」もこの時誕生したのです。
改めて上島さんの事を考えてみた。彼はリアル「フーテンの寅さん」だったのでは。今の時代、映画の寅さんみたいな人物は柴又帝釈天に行っても実際にはいない。私の周りにも見かけない。唯一上島さんがそんな匂いがする人だった。お人好しで頼まれ事は断れない、人の悩みに朝まで付き合っていそう、テレビ番組に出ても頭のよさそうな発言は一切しない。いつだって横丁に住むうだつの上がらない親父のような存在だった。だからこそ上島さんの周りにみんなが集まってきた。
しかし、自分自身の悩みを誰かに話していたのだろうか。優しい彼の事だから家族にも、親しい仲間にももしかしたら気を遣って言わなかったのでは…。上島竜兵が亡くなった今、本当の事はわからないが、芸能界以外に心の弱さを話せる人が居ればこんな結末なんか無かったのでは。
それにしても、上島さんの人生を羨ましいと思っていたのに。私は今途方に暮れている。
■テリー伊藤
演出家。1949年、東京都出身。数々のヒット番組やCMなどを手掛け、現在はテレビやラジオの出演、執筆業などマルチに活躍中。