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蒲谷 和浩
Kazuhiro Kamaya
空力エンジニア
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破竹の勢いで進む民間宇宙企業で空力エンジニアとして活躍していた蒲谷和浩さんは「新しい空力分野へ挑戦したい」という思いと共に、次の場所へ飛び立とうとしている。日本では三菱重工で迎撃ミサイルを設計し、米国では世界を牽引する民間宇宙企業でロケットの空力設計に従事してきた。常に新しい技術が求められる現場で、何を考え、どんな半生を歩み、次に何を見ているのだろうか。話を伺ってきた。
1985年横浜出身。父はアパレル企業に勤める会社員で、母は専業主婦。一家は父の仕事と共に世界中を飛び回る生活を送ってきた。生後3週間で台湾に渡り、1年を過ごした後、1歳から7歳までは香港で育った。幼稚園はインターナショナルスクールに通い、その後、香港日本人小学校へ。小学1年の途中で日本へ帰国し、横浜の小学校へ編入。小学5年までそこで過ごしたが、その時間が蒲谷さんの土台となった。母国語は日本語となり、日本という文化が最も肌に馴染んだ。しかし馴染む生活も長くは続かない。次はシンガポールへ。日本人小学校に1年通った後、UWCSEA(世界最大級のインターナショナルスクール)へ編入。英語ができて国際感覚を持った人材に育てたかった父の決断だった。「慣れたところでいつも環境が変わるのは嫌でしたが、抵抗せず受け入れる子供でした」
高校入学のタイミングで今度はロンドンへ移り、アメリカンスクールに通った。60人中、日本人は3人だけだったが、日本の大学を選択したのは蒲谷さんだけ。早稲大学理工学部機械工学科へ入学。「誰も質問しないことがショックだったのを覚えています」ジェットエンジンの研究に取り組み、2008年卒業。同級生の7割以上は大学院に進む中、蒲谷さんはやりたいことが決まっていたため、推薦で第一希望の三菱重工へ。
同期44人の中で飛昇体技術部に配属されたのは5人。日米共同による迎撃ミサイル開発に携わりたいという思いが叶った。「ミサイルをミサイルで撃ち落とすという極めてチャレンジングな分野である一方、自分の技術で沢山の命を守ることができる意義のある仕事だと感じていました」職場で出会った米国人女性と結婚。2人の子宝に恵まれるなか世界はコロナ禍に突入。妻は先の見えない不安から母国に帰りたいと望むように。2021年、蒲谷さんは渡米を決断。防衛関連企業の多くは米国籍が条件のため米国就活は困難を極めたが、前向きな反応を示してくれた民間宇宙企業に就職。「打ち上げて学ぶ」同社の精神は刺激的で空力エンジニアとして貴重な経験を積んだ。「僕は新しいことを学び続けたいタイプ。新しいスキルが自分の可能性も広げると信じています」彼は次の場所へ歩を進めることに決めた。


(5/21/2026)
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