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松本渉
Wataru Matsumoto
スキンケアメーカー
ECプラットフォーム運営責任者
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「プロ野球選手を目指していました。慶應義塾大学の体育会野球部に所属して一番レフトでレギュラー。4年時に東京六大学野球リーグ戦で優勝を飾り、プロ入りを目指しましたが、できず、企業人として生きることに切り替えました」松本渉さんはLA近郊に拠点を置くスキンケアメーカーでECプラットフォームの運営責任者を務めている。彼の軌跡に迫った。
1979年福岡出身。父は新聞販売事業を営む経営者で、母は専業主婦。彼は、姉と妹に挟まれた2番目の子だった。物心ついた頃からすぐに野球に夢中になり、夢はプロ野球選手。父は毎日キャッチボールに付き合ってくれた。小学2年生から少年野球チームに入団し、小学4年時には硬式野球のチームへ。その年齢で硬式野球に転向するのは言わずもがな珍しい。彼がどれだけ本気で野球に取り組んでいたか、おのずと感じ取れる。実力をめきめきとつけ、中学生の時には2校の野球強豪校からスカウトが来たほどだった。しかし父はこれに反対。高校は勉強で進むべきとの考えだった。「勉強は得意でもなかったですが、苦手でもありませんでした。理解できないのが嫌で、先生にしつこく質問する生徒で、高校受験のために塾に通ったのはたった2ヶ月です」集中力がすごいのだろう。福岡の進学校、修猷館高校に入学。「振り返ってみると、父は私がプロに行くことは難しいと判断して勉強を勧めたのだと思います。私自身はそうは思わず、野球人生を突き進んでいました」高校でも勿論野球部に所属し、球を追いかける毎日を送った。
その後、慶應大学に進学。無論、六大学野球があるからだった。迷わず体育会野球部の門を叩き、入部。「ここでオファーが来るくらい頑張ろう」と考え、練習に邁進。同部活内で同期2名がプロ入りしたが、残念ながら松本さんには声がかからなかった。わざと単位を落として4年生を2回やったのは、プロ野球のトライアウトに賭けた1年を送ったからだ。「プロになるためにできることは全てやった」と思えた松本さんは、就職活動に心を切り替え、新卒で電通に就職。幾つかの部署を経験したがデジタルマーケティング部門は最も肌に合った。高速PDCAを回す「探求と検証」が当たり前の世界はどこか野球にも通じ、結果、売上ナンバーワンを樹立。その後、電通を辞職し、アメリカでビジネスマンとして勝負しようと2017年に渡米。現在はスキンケアメーカーで複数のECプラットフォームの運営責任者として、日々数字と向き合う日々だ。「今は心身の健康に最も興味があります。体質改善や食材を探求し検証することにより身体も思考も変わりました。今後はこの分野での起業を考えています」何かに一生懸命になった経験がある人は強い。野球が彼に教えたものは深い。


(8/29/2025)
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