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塚本紘康
Hiroyasu Tsukamotoo
イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校 助教(UIUC Assistant Professor of Aerospace)
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5歳の頃に見たスペースシャトルに無性に憧れた少年は「宇宙飛行士になる」という夢を自然に抱いた。それがこの物語のすべての始まりである。
塚本紘康さんは1995年愛知県春日井市出身。小・中学校理科教員の父と専業主婦の母の間に生まれ、姉がいる。父方の祖父母と同居していた家は大家族でいつも賑やかだった。とりわけ祖母は「陽キャ」で明るくカラオケ好き。彼の天性の明るさは祖母のそれと似ているのではないかと感じる。
小学校時代はレゴブロックと虫捕りに夢中に。小4〜6年は生徒会長を務めた。小学生の時、家族でベルギーに駐在している叔父(母の弟)を訪ねたことがある。叔父はのちにトヨタ中国の社長になったが、塚本さんに大きな影響を与えた。「超えなきゃいけない人だと感じていました」
中学受験に邁進する姉を見て「僕はあれはしない」と親に伝え、中学受験には目もくれず地元の公立に進んだ。ハンドボール部に入部。強豪校で体罰がひどかった。試合でミスして交代させられるたび「自分使えよ」と思っていたことは強く覚えている。殆どの時間を部活に費やしたため勉強の時間はむしろ癒しだった。テストや受験はあまり好きじゃない。与えられてこれを解きなさいという学び方より「あっ! こうなんだ」と自分で気付く勉強が好きだった。
明和高校に入学後もハンドボールを続けた。高校1年の担任は数学の先生で「宇宙飛行士になる」という夢を応援してくれた。「やる理由が見えていれば勉強はつらくないんです」2013年、のちにJAXAの理事長になる、当時京大教授だった山川宏先生のもとで学びたくて京都大学工学部物理工学科へ進学。「ずっと欲しかった環境でした。こんなに好きに生きていいんだと思いました」自分のやりたいことの具体性が上がった4年間だった。
2017年カリフォルニア工科大学大学院航空宇宙工学専攻に進学。幸運なことに奨学金をもらっていたため「すべての時間を使って好きに研究していい」時間に心躍った。高校よりも大学、大学よりも大学院が余計楽しかった。
2021年12月JAXA宇宙飛行士候補者の募集が13年ぶりに開始されると聞き「我こそは」と思った。自分以上に向いている人はいないだろうとも。悪かった目を手術しに日本に帰った時「君の目は手術できない状態だ」と話す医師の言葉が胸を貫いた。扉が閉まったと思った。なかなか立ち直れなかったが、友達や家族が支えてくれ、やがて時間が解決した。判断される側ではなく判断する側になろう。誰もが宇宙へ行ける世界を実現するため教授を目指すことにした。
来夏からイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校航空宇宙工学専攻で教鞭を取る塚本さんはこう語る。「教授という仕事は自分がやりたいと思ったことをその瞬間に始められる自由がある。改めて宇宙を目指して、思う存分戦っていきたい」。
(7/11/2023)
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