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浅野勝二
Katsuji Asano
ASANO TAIKO U.S. CEO
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「強く思っているのが父と一緒に仕事をしていきたいということ。太鼓文化というより、父を受け継いでいきたいですね」アメリカの太鼓総合商社として、太鼓の普及に努めるASANO TAIKO U.S.の CEOである浅野勝二さんは力強い言葉でそう語った。
1983年石川県白山市生まれ。実家は1609年創業の太鼓メーカーであり太鼓販売を生業とする太鼓屋。4人姉弟の末っ子で長男。おばあちゃん子で姉3人に囲まれてすくすくと育った。勝二さんは、父が創業以来400年受け継がれてきた伝統と技術を100年、200年先の未来に伝えることを目指して懸命に働いている姿を見てきた。
「本家ではないので好きな事を見つけて生きなさい」と言われてきたので、自分の好きなことを探そうと考えていた。小学校時代から夢中になって続けたバレーボールを高校まで続け、卒業時「将来は消防士になる」と志したが落ちてしまい、違う道を考えることに。金沢工業大学に進み、物つくりのプロセスや仕組みを学んだことはのちに役立っている。大学在学中、LAで行われた太鼓カンファレンスに同行し、太鼓販売や商品説明をしたのは良い経験になった。その場が「非常に活気があったことがずっと心に残っていた」と言う。勝二さんの原点はここにあるのかもしれない。
大学卒業後はヤマハミュージックトレーディング(現:ヤマハミュージックジャパン)に就職し、ヤマハが製造していない楽器輸入の仕事をした。江東区住吉に住んで、会社のある水天宮に自転車で通った。「満員電車は無理だと思った」のが住吉を選んだ理由。仕入れ、販売、在庫管理。浜松の倉庫と行き来して、仕事はとても楽しかった。しかし転機が訪れる。「ちょうど実家の創業400年の大きなイベントが行われ、それを期に白山市へ戻りました」結局ヤマハには3年3ヶ月在籍した。
実家の太鼓屋では1年間太鼓の製造工程を学び、週末は営業に励んだ。4年間勤めたあと渡米を決意。ちょうど30歳の時だった。「父親が偉大すぎて並べない。違う形で追いつきたかったんです」勝二さんは胸の内を正直に語ってくれた。渡米に際して背中を押してくれたのが妻の樹里亜さんだ。樹里亜さんとの出会いは、大学在学中に参加したLAの太鼓カンファレンスに遡る。彼女は日系二世で和太鼓奏者。彼女の存在も勝二さんに大きな力を与えた。
2013年トーランスにASANO TAIKO U.S. Inc.を設立。今年会社は創業10周年。7月16日レドンドビーチで太鼓コンサート『EXTASIA』を行い、太鼓販売も行う予定だ。日本からは父も駆けつけてくれる予定。76歳の父は先頃会社を引退し、自身で新しく太鼓事業を興した。「パワフルな父と一緒に仕事がしたい。父を受け継いでここアメリカで羽ばたいていきたい」。
『EXTASIA エクスタジア』
迫力の太鼓パフォーマンスに圧倒されること間違いなし。日本から参加のグループも含め、奥深い太鼓の音色をたっぷりとご堪能あれ。
7月16日(日) 午後2時〜 Redondo Beach Performing Arts Center
チケット: https://asano.us/pages/extasia
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(7/3/2023)
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