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片岡 飛鳥
Asuka Kataoka
グラフィックデザイナー
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[Instagram] @asuka.graphicdesign
「父の家族は第二次世界大戦後、沖縄移民船に乗り、3ヶ月の航海を経て、南米ボリビアにあるコロニア・オキナワへ移住しました」1950年代、沖縄は戦争で土地や産業が破壊され、米軍統治下で仕事不足の上に人口過密状態だった。一方、南米のボリビアは未開発地を農地にしたいという狙いがあり、農業に従事する日本人を積極的に受け入れたいという思いがあった。この二つが重なり、沖縄からボリビアに移住した日本人が多くいる。琉球新報によると、その数、約3200人。
片岡飛鳥さんは1997年に日本で生まれ、3歳の時、父の故郷であるボリビアに移住した。父はボリビア生まれの日系ボリビア人二世で、高校卒業後、日本に渡り、数年間働いた際、妻となる人と出会い、そこで飛鳥さんが生まれたというわけだ。ボリビア東部に「コロニア・オキナワ」という村があるのをご存知だろうか。ここはボリビアのサンタクルス州に位置する沖縄出身者を中心につくられた日本人移住地である。飛鳥さんはここで育った。
コロニア・オキナワには幼稚園から中学校まで日本語学校があるそうだ。「午前中はスペイン語で各教科を学び、昼は持参のお弁当を食べ、午後は日本語の授業や体育の時間でした。日本語の授業では言葉を学ぶだけでなく、移住地の歴史や一世の体験談を聞き、エイサー太鼓や三線など沖縄文化に触れる機会が多くありました」飛鳥さんが夢中になったのは、伝統的なエイサーに空手や創作ダンスを取り入れた「琉球國祭り太鼓」だった。
高校進学を機にコロニア・オキナワを離れ、都会へ出た。100%スペイン語の生活が始まり、だんだんとスペイン語が強くなっていった。大学ではグラフィックデザインを学び、卒業後は友人とデザイン会社を立ち上げ、懸命に働いた。「ボリビア人にならなければいけないのか」と葛藤したこともあったが「自分はボリビアと日本の半々でいい。日系人なんだ」と自己認識して以降、葛藤は薄まっていったという。彼女の所属する祭り太鼓は非常に大きな組織で、南米各地に支部があり、またアメリカとも交流がある。祭り太鼓を通して、のちの夫と出会い、結婚し、夫の住むLAに来たのが2022年のこと。
現在はフリーランスのデザイナーとして働きながら、琉球芸能では獅子舞に携わり、獅子頭を制作するなど表現の場に立ち続けている。「振り返ると、私の人生の感性は琉球芸能と共に育まれてきました。誰かのアイデンティティーやルーツに寄り添い、それを大切に形にしていくこと。その姿勢を忘れず、これからも表現と向き合い続けます」8月には新設琉球芸能団体との交流のためブラジルを訪問予定。日本とアメリカとボリビアを繋ぐ飛鳥さんの今後が益々楽しみだ。


(3/5/2026)
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