【ロサンゼルスで暮らす人々】自分なりのロックを鳴らそう

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LA暮らし

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板倉光孝
Mitsutaka Itakura


ゼロハチロック CEO

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■板倉さんがインタビュアーとなって送るポッドキャスト番組『1%の情熱ものがたり』は一聴の価値あり。
https://podcast.zerohachirock.com/

「昔から海や街や音楽などアメリカ西海岸の文化に心惹かれていました。サーフィンとバンドがやりたくて渡米しましたが、いくつかの出来事があって現在の場所に辿り着きました」Mitsu Itakuraこと板倉光孝さんはマーケティング支援の会社ゼロハチロックを起業し経営している敏腕社長。彼はどんな半生を送ってきたのだろう。伺ってきた。
 1977年愛知県豊田市生まれで、両親と年子の兄の4人家族。一つ上の兄のことを「ずっとライバルでした」と表現した。バスケットボールによじ登るなど非常に活発な子で、骨を折ったことも幾度もある。高校時代の愛読書は雑誌『Fine』で、西海岸の文化を存分に取り込んだ内容に影響を受け、高校の頃から焦がれるようになった。音楽ももちろん西海岸のバンドに夢中になり、日本のバンドでは『HI-STANDARD』をよく聴いていた。

 高校は進学校だったため、当然のように周りの同級生は日本国内の大学を目指して猛勉強し、実際その道に進んでいった。しかし板倉さんはそうはしなかった。心は米国を向いていたからだ。故郷を出て、大阪ヒューマンアカデミーに進学。2年弱在籍したあと、単位交換ができるサウス・ダコタ州のコミュニティカレッジへ。しかしサウス・ダコタは板倉さんの思う米国とは全く違っていたためがっかりした。結果、3ヶ月で去った。

 「実家に1年間住まわせて下さい」と両親に頭を下げ、トヨタの期間工として9ヶ月間勤務。通常のアルバイトより高いその仕事は、貯金したい板倉さんにはぴったりだった。1日12時間ネジを打ち続ける過酷な作業の日々だった。100万円が貯まったところで再び渡米。もちろん行き先はLAだ。2001年のことだった。

 憧れの地では、サーフィン、アルバイト、バンド活動の3本柱の忙しい生活を送った。しかし、なかなか音楽が売れない。板倉さんは考えた。「自分たちでメディアを持てば、イベントをやってお客を呼び込むことができるのではないか。メディアを運営するには広告だ。広告を取るには企業の社長と会う必要がある」たまたま自らのバンドのライブに来ていた社長に自身が作成したWEBサイトを見せるとダメ出しされた。出会いとは不思議なもので、その社長の会社で働くように。日系オンラインディア会社で、板倉さんは営業を一手に引き受け、その手腕を伸ばした。一方でビジネスが面白くなるほど時間はなくなり、音楽活動が手薄になっていった。

 2016年に独立し、ゼロハチロックを創業。2018年からはポッドキャスト番組『1%の情熱ものがたり』を開始。海外在住日本人は、日本人総数のわずか1%だけという事実からこの名前に。これまでに95人をインタビューしてきた。JAPAN PODCAST AWARDS 2019 推薦作品に選出。「ビジネス分野でも自分なりのロックを続けます。」

■音楽活動に邁進していた頃。
■趣味はサーフィン。海はいつも「自然体であること」を思い出させてくれる。

(12/24/2025)

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