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中林正宏
Franklin Masahiro Nakabayashi
LA白門会(中央大学学員会)名誉会長/ハンティントンビーチ市姉妹都市協会名誉会長
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中央大学は明治時代より卒業生を「学員」、同窓会を「学員会」と呼ぶ。白門会とは中大・学員会本部が公式に認定した同窓会組織をいい、世界で最も古いのはNY白門会で1950年代にできた。LA白門会はロンドンに次いで3番目に設立された。それまでゴルフや懇親会等の内輪的なグループであったが、1992年、当時の中大・外間寛学長がLAを訪れ、交流が始まったことで正式に学員会として認められた。海外在住の同窓会の問題は、組織を支える人が駐在の場合、帰任と共に活動が消えていき、そのたび継続が危ぶまれるという点だが、永住組である中林さんが会長となることで持続的に根を張ることができた。彼は2003年から2018年までLA白門会会長を務め、現在は名誉会長を務める。
1940年東京都新宿区出身。幼少期は戦後の混乱の中で生きてきた。「戦争の前と後で街の様子がはっきりと変わりましたね」中央大学杉並高校卒業後、中央大学工学部に進学。「技術者になりたい」という夢を叶え、1962年川崎製鉄に入社した。時は高度経済成長期で新幹線等の建設ラッシュ。自身の専門である溶接部門は大忙しで、新幹線のレールの溶接について研究しては現場に向かう日々だった。1966年社内派遣で米国を代表する化学企業ユニオンカーバイド社のトロント研究所に転籍。当初は2年という条件だったが、研究成果をどんどん出した中林さんは1968年、NASA奨学生としてペンシルベニア州にあるリーハイ大学の大学院に留学。スペースシャトルを組み立てる基礎研究に従事し、修士課程卒業後は再びユニオンカーバイド社のNY郊外にある中央研究所勤務になり、この時、正式に川崎製鉄を辞職。宇宙関連の最先端を行く高度な金属材料溶接技術の開発に関わっていたため国務省より市民権取得の要請を受けて米国籍となる。1975年、生産技術研究所所長に就任。その後、市場開発部長、国際市場開発部長などの役員を歴任し世界中を飛び回る。「実力者に対して適切に対応するアメリカという国を感じた」と語った。
1992年7月からLA白門会設立総会に参加。2003年「後輩のために尽くしてほしい」と託され、LA白門会会長に就任し、15年間にわたり貢献してきた。同窓会活動の柱は学生研修の受け入れ。毎年4〜6名の現役中大生を迎え、LAで活躍する卒業生の職場を訪問し、交流する。「後輩のために何かしてあげるという考えがないと同窓会組織は続いていかない」と力強く語る。この研修は現在では正式に経済学部の単位として認定されており、今年度で18期生を迎える。2019年には理工学部創立70周年記念祝賀会にて海外在住卒業生を代表し、祝辞を述べた。現在85歳。「小さなコミュニティーに尽くすことを意識しています。小さい所の方が日米の架け橋になれるからです


(6/20/2025)
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