フランスの俳優アラン・ドロンが2024年8月18日フランス、ドウシーで家族に見守られながら息を引き取った。88歳だった。アラン・ドロンを紹介する時には必ず「世紀の二枚目俳優」の冠がつく。当然だろう。何たって桁外れの男前なのだから。
世界中のどの国にも二枚目は存在する。日本、アメリカ、英国、イタリア、インド、韓国、他の国の二枚目も相当格好いい。しかしフランス代表のアラン・ドロンは別格ではないか。もし世界対抗二枚目オリンピックが開催されたら間違いなく金メダルを獲得する。繊細さ、野心を感じる透き通る眼差し、しなやかな肉体、整いすぎる甘いマスク。まさに神が与えた完璧な容姿の持ち主。
そんな彼の魅力を見事に引き出したのが60年制作ルネ・クレマン監督『太陽がいっぱい』。アラン・ドロンは貧しく孤独な青年トムを演じる。大富豪の息子に奴隷のように扱われ、いつしか殺意を抱くように。衝撃のラストシーンは今も映画ファンの語り草となっている。ナポリの海、太陽の陽射し、ニーノ・ロータの主題曲、そして若干25歳のアラン・ドロンの人生を這い上がって行く瑞々しい演技が相まって、世界中で大ヒットした。今でもこの作品をフランス映画史上No.1と評価する人は多い。
日本でも大人気となり、当時の映画雑誌の表紙は各誌アラン・ドロンで埋まり、人気投票でも毎年「不動の一位」の座を譲らなかった。それだけでは収まらない。初来日の際はとんでもない騒ぎに。インターネットが無い時代にもかかわらず情報を聞きつけて、羽田空港は若い女性で大混乱。日本の芸能界も黙っちゃいない。各映画会社が若手女優を和服でお出迎えさせる大歓迎ぶり。あれ程の外国人スター大狂乱は、その後のビートルズ来日騒動しかなかったのでは。
とは言っても一般男性がアラン・ドロンになれる訳もなく、あきらめている頃。1971年ファッションブランド「レナウン」が、アラン・ドロンをイメージキャラクターに抜擢し、紳士服「ダーバン」を発表。俺もアラン・ドロンになれるかも!と、大ヒットとなった。その他1970年制作「ボルサリーノ」で被ったボルサリーノ帽は今でも男たちの憧れとなっている。世紀の二枚目にはなれなくてもせめて雰囲気だけでもと、彼の影響力は今も衰えない。
アラン・ドロンの凄いところは、死ぬまでずっと格好良かったこと。いつの時代も年齢の中で美しさを保っていたのではないか。今ごろ天国で盟友ジャン=ポール・ベルモンドと若かりし頃の映画の話やモテモテだった時代の事をワインを飲みながら夜通し語っているのでは。それとも、2人でナポリの海をビキニパンツで泳いでいるだろう。
■テリー伊藤
演出家。1949年、東京都出身。数々のヒット番組やCMなどを手掛け、現在はテレビやラジオの出演、執筆業などマルチに活躍中。