王族の配偶者として“玉の輿”に乗ったアメリカ人国際問題に発展してしまったケース

アメリカ101 第80回

 

「幸福な家族はみな同じように似ているが、不幸な家族は、不幸なさまはそれぞれ違うものだ」というのは、ロシアの文豪レフ・トルストイの名作のひとつ、「アンナ・カレーニナ」の冒頭の文章です。「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という、ノーベル文学賞作家川端康成の「雪国」と双璧を成す素晴らしい小説導入部の文章だと思いますが、今回のコラムで、どうして、そんなものを紹介するかというと、しばしば無味乾燥で理解困難、とっつきにくいという国際ニュースに接するのに、具体的な生身の人間をイメージしたり、ミーハー族的な好奇心を抱くことで、その理解を容易にするものとなると考えるからです。

 

それというのも、今月初めに、中東の立憲君主制国家ヨルダンで、アブドラ国王が、異母弟ハムザ前皇太子の関与する「国家の不安定化」の策動があるとして、これを軟禁、側近20人近くを拘束するという事件があり、王室内での亀裂が一挙に表面化、「不幸な家族」ぶりを露呈する一幕があったためです。ヨルダンはアメリカにとってアラブ諸国ではもっとも親近な友好国で、軍事的にも重要なパートナーであるのですが、その国が「不幸な」王室内の争いで脅かされるという視点から眺めると、国際問題への興味をそそられるのはないでしょうか。

 

たとえば、ヨルダンも関連するのですが、「世界中の王族の配偶者として“玉の輿”に乗ったアメリカ人女性は16人」という好奇心丸出しのトピックがあります。外国人女性が他国の王族・貴族に見染められて結婚するケースを手掛かりに、国際問題に興味を抱くというパターンです。日本絡みでは、現在のEU(欧州連合)の源流である汎ヨーロッパ主義(パン・ヨーロッパ主義)運動の提唱者に一人であるオーストリア貴族リヒャルト・クーーデンホフ・カレルギー伯爵の母親クーデンホフ光子(旧姓青山みつ)がいます。明治時代にオーストリア・ハンガリー帝国の駐日公使として東京に赴任したハインリヒ・クーデンホフ・カレルギー伯爵と結婚、ヨーロッパに渡った日本婦人です。また中国清朝最後の皇帝・溥儀の弟・溥傑に嫁いだ侯爵家出身の嵯峨浩のケースも知られていますが、王族と結婚したアメリカ人女性は実に16人にも達するとのことです。

 

近年ではイギリス王室のヘンリー王子と結婚したハリウッドの人気女優メーガン・マークル(現在のタイトルはサセックス公爵夫人)が有名で、最近では王室離脱やテレビ・インタビューで話題となったのはご存じの通りです。同王室を言えば、国王エドワード8世との「王冠を賭けた恋」で知られたウォレス・シンプソン夫人も欠かせません。さらにハリウッド出身では、人気絶頂期にあったグレース・ケリーのモナコ公国レーニエ大公との結婚も「世紀のシンデレラ・ストーリー」として一世を風靡したものです。

 

今回のヨルダンの場合は、「影の主役」なのが、異母兄のアブドラ国王と対峙したとされるハムザ王子のアメリカ出身の実母ヌール王妃。1999年に死去したフセイン国王の4番目の妻で、長男のハムザは、国民の間での人望が厚かった父親そっくりの容貌と話しぶりで、古典アラビア語を流ちょうに話す“アラブ派”です。前国王自身も後継者として考えていたようで、ヌール王妃も期待していたものの、最終的にはイギリス出身の2番目の妻ムナ王妃との間で生まれた長男アブドラ現国王が王位を継承した経緯があります。現国王は4歳からイギリスで教育を受け、英語が“母国語”の“イギリス派”で、人望は今ひとつといったところ。ハムザ王子軟禁の報で、ヌール妃は「この邪悪な中傷の対象となったすべての罪のない犠牲者たちに真実と正義が訪れるよう祈る」とのツイッターを発表、ハムザ王子も軟禁を解かれ国王への忠誠を確認して“一件落着”となったものの、異母兄弟の確執はくすぶり続けるのは確実です。

 


著者/ 佐藤成文(さとう しげふみ)

通称:セイブン

1940年東京出身。早稲田大学政治経済部政治学科卒。時事通信社入社、海外勤務と外信部勤務を繰り返す。サイゴン(現ホーチミン市)、カイロ、ベイルート、ワシントン、ニューヨーク、ロサンゼルス各支局長を歴任し、2000年定年退社。現在フリーランスのジャーナリストとしてロサンゼルス在住。


 

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