東京をつくった 医師・後藤新平 |べっぴん塾

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第九十二回
東京をつくった医師・後藤新平

東京はお医者さまがつくった街であることをご存知でしょうか。1923年9月1日、関東大震災が発生し、東京市(現在の東京23区)中心部や下町は建物の倒壊のみならず、強風にあおられ、大火に包まれました。焼け野原となった街の再建を託されたのが後藤新平です。ロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平選手と同じ岩手県奥州市水沢の出身で、もとはお医者さまだった官僚であり、政治家です。

1857年に生まれた後藤は、17歳で須賀川医学校に入学し、卒業後は愛知県医学校(現在の名古屋大学医学部)に勤務します。24歳という若さで同校の学校長兼病院長に就任するほどの俊才でした。
その後、内務省衛生局に入り、官僚として病院・衛生行政に携わります。1895年には、日清戦争からの復員兵を検疫するという大事業を任されます。当時、清国(中国大陸)ではコレラが猛威を振るっており、戦地から復員する23万人以上の兵士たちがそのまま日本に帰国すれば、国内で大流行する危険性がありました。後藤は直ちに広島県、山口県、大阪府の離島に400棟もの検疫施設をわずか2か月でつくり、船舶687隻、帰還兵全員を検疫するという前例のない事業を成し遂げ、日本への感染症の流入を防いだのです。検疫所通過後に発症した人の割合はわずか0.02%だったそうです。

こうした実績が第4代台湾総督、児玉源太郎の目にとまり、1898年、後藤は児玉に招かれて台湾総督府民政長官に就任します。その際、後藤は「ヒラメの目を鯛の目に変えることはできない」という比喩を用い、台湾の習慣や風土、実情に即した政策(生物学的開発)の重要性を強調しました。それらを徹底して把握するため、土地調査、臨時台湾戸口調査、臨時台湾旧慣調査という3つの大きな調査事業を実施し、台湾をよくよく診察した上で、道路、鉄道、水道、港湾などのインフラ整備の他、衛生環境と医療の大改善をおこなっていきます。

この時におこなわれた戸口調査は、1920年の日本初の国勢調査よりもはるかに早く実施された、いわば日本で最初の本格的な近代センサスでした。
(次号に続く)

(9/17/2026)


筆者・森 日和

禮のこと教室 主宰 礼法講師
京都女子大学短期大学部卒業後、旅行会社他にてCEO秘書を務めながら、小笠原流礼法宗家本部関西支部に入門。小笠原総領家三十二世直門 源慎斎山本菱知氏に師事し、師範を取得する。2009年より秘書経験をいかし、マナー講師として活動を開始する。
2022年より、廃棄処分から着物を救う為、着物をアップサイクルし、サーキュラーエコノミー事業(資源活用)・外国への和文化発信にも取り組む。
https://www.iyanokoto.com

 

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