LAでクリエイティブな人々が出会う コミュニティ Japan Screen Advocacy

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西村絵美
Emi Nishimura

俳優/Japan Screen Advocacy Founder

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■俳優の西村絵美さん
インスタグラム @emi_canavan @japanscreenadvocacy

 「LAでTV・映画業界のアジア人としてのグループはあっても、日本人・日系人、日本と繋がりがある人の為のコミュニティはないと思いました。クリエイティブな人達が出会う機会があったらと考え、JapanScreen Advocacy(JSA)を作りました」こう語るのは俳優の西村絵美さん。

 1980年北海道苫小牧市の出身。父は転勤族のサラリーマンで、母は専業主婦。3才で苫小牧から札幌へ、小学4年で室蘭へ引っ越した。「転校願望があったので引っ越しは辛くなかったです」と語る通り学校にはすぐに馴染めるタイプで、小学校では児童会長として活躍し、劇の発表会では主役を務めた。『埴輪』という作品で、男性の埴輪職人を演じた。「男とか女とか分けられるのが好きじゃなかったので、男性を演じるのも躊躇はありませんでした」高校受験合格後に父の転勤が決まったため、再び札幌で生活することに。「役者になりたい」という気持ちが芽生えてきた時期で、北海道アクターズスクールに通った。母が舞台に連れて行ってくれたことが演技への興味の基盤を作った。多くのハリウッド映画を観るうちに英語で演技を学びたいと思うように。

 高校卒業後は新宿にある語学学校に1年間通った後、サンフランシスコ近郊のコミュニティカレッジに進学。母は一貫して彼女のビッグサポーターであり続けた。彼女が次々に進んでいけたのは母のおかげだ。その後はSan Diego State Universityの舞台演劇学部に編入し本格的に演劇を学んだ。米国人と外国籍の生徒が半々で構成される国際寮に住み、そこで出会ったオーストラリア人の彼とのちに結婚。「舞台は一人で作ることはできません。どうコミュニケートして舞台を作っていくのか実用的なことを学べました。大きな社会がぎゅっと詰まっているような意義深い大学生活でした」その後は1年間LAで暮らし、日本に帰国。6年間コンサートプロモーター等の仕事をした後、2012年豪州に移住。舞台、CM、映画の役者として活動を開始。日本で30都市70公演した『恐竜どうぶつ園』で司会兼パフォーマーも務めた。

 2019年、約15年ぶりに米国に移住。役者としてApple TV+の『For All Mankind』やインディペンデント映画等に出演、ゲームのボイスオーバーなど精力的に活動中。SNLなどに出演する多くのコメディ俳優を輩出するTheGroundlings Theatre&SchoolでDiverisity Scholarshipを獲得。現在もインプロ・スケッチを学んでいる。今年3月にはプロデューサーとして日本人・日系人女性コメディアンのチャリティーコメディーショーをリトル東京で開催。JSAではネットワーキングイベントなどを開催、またニュース・キャスティング・イベント情報をシェアしている。昨年、女児を出産。「女性の日本人日系人として活躍の場が増えるためのプロジェクトをどんどんやっていきたいと思います」

■Japan Screen Advocacyのイベント
■『ForAll Mankind』の現場・トレイラーの前で

(6/4/2025)

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