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原健太郎
Kentaro Hara
スタンフォード大学
Assistant Professor, Aeronautics and Astronautics(航空宇宙工学)
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「自分の学生も自分の子供も羽ばたいてほしいですね」こう語るのは、2019年からスタンフォード大学・航空宇宙工学科でアシスタントプロフェッサーとして活躍する原健太郎さん。父親の駐在で3歳から8歳までをオハイオ州の田舎町で過ごした。「その経験があるから今ここにいると思います。僕にとってアメリカは遠い国ではなかったんでしょうね。家にはプールがあって泳ぐのが好きでした」彼はどんな半生を辿って今に至るのか。軌跡に迫った。
1986年横浜市出身。鉄鋼メーカーに勤める父と専業主婦の母のもとに生まれた。妹が1人いる。父方の祖父も母方の祖父も陸軍士官学校出身という共通項があった。日本に帰国した際、カルチャーショックはなかった。「アメリカから日本に戻った時も、その後、日本から再び渡米した時もスムーズにその文化に入っていけました」適応するのが上手なのだろう。
中学受験を見据えて塾に行きたいと申し出た時、両親は「それが本気かどうか1年間行動で示してくれ。塾はそれからだ」と言った。1年間頑張り、塾に行かせてもらい、父の出身校である横浜の聖光学院に入学。テストの順位が上がったらお小遣いがもらえる一方、下がったら没収。物欲があるわけではなく、ただ負けず嫌いだった。その後、東大へ進学。多くの人がサークルを選ぶ中、運動会ラクロス部へ入部。大学院試験(院試)前は合宿所で別部屋を取ってもらい、練習終了後、皆が就寝する中、希望の航空宇宙工学専攻に合格すべく1人猛勉強した。やると決めた時の集中力はずば抜けている。
2010年に東大で修士号取得後はミシガン大学へ留学した。「オハイオとミシガンは隣の州です。中西部の雰囲気を知っていたので馴染みがありました」その地で5年かけて研究し、2015年に航空宇宙工学博士号を取得。日米の教育について尋ねると「教えている内容は同じですが、教え方が違うと思いました」と教えてくれた。2015年から1年間はプリンストン大学プラズマ物理研究所に在籍し、ポスドク(博士号取得後任期付き研究員)として研究に従事。日本学術振興会の海外特別研究員に選ばれたことは幸運であった。大学院では工学を、ポスドク時代には一転、理学を研究した点について尋ねると「僕の持論なんですが、理学を知っている工学の人の方が研究者として成功すると思うんです」というユニークな返答があった。2016年から2019年まではテキサスA&M大学で航空宇宙工学アシスタントプロフェッサーとして活躍し、その後、スタンフォード大学へ転籍。現在に至る。「母はユニークな人で、中高生のとき夜中の3時まで議論することもありました」彼の論理力は母との対話で培われたようだ。


3人の娘のパパでもある。
(4/9/2025)
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